マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【甲州道中 10日目】 39.甲府柳町→(13.0km)→ 40.韮崎宿  2019.10.06(日)

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丸石道祖神

丸石道祖神 (竜王新町下宿道祖神神場)
江戸時代、ここには寄合場があったそうです。それにしても、この道祖神のまん丸いこと。とでもきれいです。山梨以外で見かけることのない丸石の道祖神。丸い石には邪気を払う力があるといわれています。

 

39.甲府柳町 →(13.0km)→ 40.韮崎宿  約13km

 

 丸石の道祖神は、なぜ山梨にしかないのか調べてみてもよくわかりませんでした。丸い石を見つけるたびに道中の安全を願って歩いていきます。

 

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旧荒川橋・旧貢川橋親柱
荒川、貢川を渡ります。左は旧荒川橋(大正15年)、右は旧貢川橋(昭和6年)に建設された親柱です。昭和37年(1962)まで路面電車も走っていたそうです。

 

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夫婦サイカ
イカチは川岸の湿ったところに生える木で、かつてこの辺りは貢川の河川近くでした。夫婦サイカチと呼ばれていますが、何とどちらも雌木だとか。樹齢約300年の古木です。

 

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山梨県立美術館 山梨県立文学館
山梨県立美術館といえば、ミレーだよね。この日は萩尾望都の展示をしていました。ポーの一族だね。

 

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甲斐市に入ります。

 

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竜王駅南
ここを右に曲がるを竜王駅はすぐそこ。次の信号で右の道に入ります。トップ写真の竜王新町下宿道祖神神場は、このすぐ先にあります。

 

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道祖神に丸石はつきものです。

 

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赤坂にかかります。この辺りはそろそろ甲府盆地の縁になるんだろうか。

 

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赤坂供養塔
坂の途中にある供養塔。幕末の安政年間に造立されたものとされています。赤坂とは赤土の坂。雨や雪が降るとぬかるんで行き倒れの旅人も多かったとか。

 

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諏訪神社
改修工事をしていました。

 

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ここはお水がおいしそうですね。あちこちでみかける 「やはたいぬ」 甲斐市のマスコットキャラクターで、やはたいも(里芋)+甲斐犬だそう。

 

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ここは左に進みます。よく見ると道の真ん中でやはたいぬが道案内

 

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下今井の町並み
街道に沿って続く風情なる町並みには立場がありました。

 

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中部横断自動車道の下を過ぎ、中央線のレンガ造架道橋(明治36年/1903)をくぐり、右に進みます。もちろん、ここにも丸石の道祖神

 

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抜けた先のガードレールには手書きの道案内

 

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泣石
天正10年(1582) 武田勝頼一行は完成したばかりの新府城に自ら火を放ち、岩殿城に向けて落ち延びていきます。その途中のこの地で勝頼夫人は燃える新府城を見て涙を流したと云われています。このすぐ先は、塩崎駅です。リニューアルしたばかりでとてもきれいな駅です。トイレもきれいでした。

 

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光善寺
ここにも丸石道祖神

 

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旧庄屋宅
立派な建物が残っています。

 

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船形神社
高さ2.53mのこの小さな石鳥居は、室町時代前期 応永4年(1397)に建立された貴重な鳥居です。次の田畑の信号で左に折れ旧道に入ります。

 

 

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二十三夜塔

 

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旧道から戻り、塩川を渡ります。橋を渡ると韮崎市に入ります。このすぐ下流で塩川は釜無川に合流します。

 

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橋の上からあずさが見えました。しばらくお世話になります。奥に見えるのは七里岩と同じく八ヶ岳の山体崩壊による岩屑なだれを塩川が削ったあと。反対側が七里岩。で、あってる?


40.韮崎宿
甲州街道・駿信往還・策往還の分岐点にあり栄えていました。長く伸びる七里岩がニラ(韮)の葉のように見えその先端(崎)に位置していることが名の由来となってます。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は237軒、うち本陣1、問屋1、旅籠17軒。宿内人口は905人(男574、女568)

 

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ニーラ 
韮崎のマスコットのニーラは、神様のお使いで夢をかなえる不思議なカエル。絵本の主人公で、ニーラの故郷の星から眺めた時に、甘利山がとてもきれいに見えたので暮らそうと訪れたとか。

 

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街道っぽい町並み

 

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本陣跡

 

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馬つなぎ石
馬の手綱を繋いでおくための石が残っています

 

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雲岸寺窟観音
天長5年(828) 弘法大師が七里岩の中腹に築いた岩屋観音堂

 

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平和観音
観音堂をくぐると平和観音を仰ぎ見ることができます。

 

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小林一三生家
阪急電鉄宝塚歌劇団東宝をはじめとする阪急東宝グループ(阪急阪神東宝グループ)の創業者である小林一三の生家がここにありました。

 

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おざら
おざらは、ほうとうの冷バージョン。麺が、ひもかわうどんみたいでおいしいです。ルートインの前にあるこの食堂の名前は「ねんきん食堂」 年金者にも気軽にってことみたい。どんどん延びてく年金支給年齢。いつもらえるようになるのかなぁ。お昼ご飯を食べたところで今日の街道歩きは終了です。

 

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武田太郎信義像
市役所東の交差点で、街道を離れて韮崎市役所へ。武田太郎信義が出迎えてくれます。武田八幡宮元服し武田姓を名乗ります。甲斐源氏当主であり、武田家初代当主になります。

 

 甲府盆地を抜けて、韮崎までやってきました。山梨は武田の里です。あちこちで武田菱を見ますが、甲州街道沿いにはあまり信玄公の影はありません。目に入るのは、武田勝頼ゆかりの地。大月の岩殿山から始まって、勝頼公腰掛け石、泣石、そして目の前にそびえる岩の上には新府城。信長も認める勝頼の実力ながら、偉大なる父を持ったための悲劇。あと数年、信玄公が生きていたら、歴史は変わったかもしれません。そんな新府城に寄り道のため、韮崎でこの日の街道歩きは終了。民俗資料館でスタンプを押して新府城へ行ったのですが・・・なんと同行者が新府城の何でもなさそうな坂道で転倒。後で病院に行ったら骨にヒビが入っていて骨折の診断。しばらく甲州街道歩きはお預けとなりました。丸石道祖神も勝頼公の無念には勝てなかったかぁ・・・街道歩きも安全第一です。