マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【甲州道中 9日目】 36.勝沼宿 → 37.栗原宿 → 38.石和宿 → 39.甲府柳町  2019.10.05(土)

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甲府盆地

甲府盆地大善寺から)
四方を山に囲まれた甲府盆地は、フォッサマグナの南部に位置する、地殻変動による断層の作用で落ち込んだ盆地です。笛吹川釜無川とその支流が土砂を堆積させた扇状地が多くみられます。笛吹川釜無川は合流して富士川となり駿河湾に注ぎます。


36.勝沼宿 →(3.4km)→ 37.栗原宿→(6.8km)→ 38.石和宿 →(6.9km)→ 39.甲府柳町 約18km

 

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大善寺
養老2年(718) 行基が左手にぶどうを持った薬師如来と日光・月光菩薩を刻み安置して開かれたと伝えられています。秘仏になっていて、5年に一度御開帳されます。それが去年だったので、次は2023年10月まで待たないとなりません。薬師堂は、弘安9年(1286) 元寇の数年後に建立された築720年以上の関東周辺で最も古い建物です。十二神将も素敵でした。逃げ恥で使われた座布団も残ってます。

 

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「前に山が見えませんが、この方向に富士山があります。」 富士山と金峰山を結ぶ修行の道(行者街道)の中継点としてたくさんの山伏がお参りをしたそうです。

 

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国見坂
大善寺から続きを歩きます。


36.勝沼宿
元和4年(1618) 開設の宿で、甲府盆地の東端に位置していることから、物資集積の地としてさかえていました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は192軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠23軒。宿内人口は786人(男394、女392)

 

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勝沼氏館跡

 

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脇本陣

 

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本陣跡
大名や公家が宿泊すると目印に槍を立て掛けた「槍掛けの松」が残っています。

 

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松屋
江戸時代後期の東屋敷と明治時代の建築を中心とした西屋敷の商家で、勝沼宿の代表的な建物です。

 

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旧田中銀行社屋
明治30年代前半に勝沼郵便電信局舎として建てられました。入母屋造り、瓦葺、二階建ての擬洋風建築で、大正9年から昭和7年ごろまで山梨田中銀行の社屋として使われていました。山梨県は擬洋風建築の建物が結構多いんだよね。こんな家に住みたいなぁ

 

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明治天皇勝沼行在所跡・勝沼学校跡 (現勝沼小学校)

 

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勝沼ぶどう祭り
1000円でワイン試飲放題! 魅力的だけど、これから歩かないとならない身には無理だぁ・・・。会場にも、街道ぞいにもぶどうのお店がずらっと並んでいます。おすすめのお店でぶどうをお土産に送りました。

 

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丸石の道祖神

 

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常夜灯

竿石が珍しいです

 

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延命地蔵
もちろん丸石の道祖神もあります

 

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山梨市に入りました

 

37.栗原宿
この地を治めた粟原氏が名の由来となっています。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は240軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠20軒。宿内人口は1058人(男538、女519)

 

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栗原宿にはいりました

 

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大戸屋の創業者って山梨市の出身なんだね

 

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天神社

 

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大宮五所大神
旧粟原筋五十五か所の総鎮守。明治・安政年間の江戸絵師による絵馬が奉納されています。

 

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ラーメン屋さんでお昼ご飯。街道歩きにはラーメンが合います

 

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明治天皇御小休所址碑
見過ごしてしまいそうな駐在所脇の碑です。奥に見えるのは駐嗶碑

 

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白山神社にももちろん丸石道祖神

日川を渡って旧道にはいる道はよくわかりませんでした

 

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いいお天気に恵まれて山がきれいです。日川沿いの道を歩いていきます。しばらく行くと国道に合流。横断歩道がないので、車の途切れを待って歩道のある側にわたります。

 

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日川は合流して笛吹川になりました。笛吹橋を渡ります。

富士山が顔をのぞかせてくれました。

 

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笛吹権三郎像
橋を渡って下に下りて松並木沿いを歩いていくと笛吹権三郎の像があります。笛の上手な権三郎の母が、石和川の氾濫で流されてしまいました。権三郎は、母の好きな曲を吹きながら探しましたが、自らも川に落ちて死んでしまいました。夜になると川の中から美しい笛の音が響き、いつしかこの川は笛吹川と呼ばれるようになりました。悲しい物語です。ここの道祖神はまん丸です。

 

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丸石の道祖神

 

38.石和宿
石和は武田氏の故地で、新羅三郎義光から四代目信義の時、韮崎の地(武田)に移り、以降武田と名乗りました。五郎信光は甲斐守として石和に領を構え、18代信虎の時に甲府の躑蠋ヶ崎に移るまでここが武田氏の本拠地でした。石和とは大小の多くの川が流れる荒地で藺(い)が一面に生い茂っていたので藺の沢と呼ばれ、いつしか転化し石和となりました。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は166軒、うち本陣1、脇本陣2、問屋場1、旅籠18軒。宿内人口は1143人(男578、女565)

 

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鵜飼山遠妙寺
文永11年(1274)日蓮聖人が、 密猟のため簀巻きの刑により沈殺された鵜飼の霊を鎮めるため法華経1部8巻69380余文字を河原の小石一石に一字づつ書写し、鵜飼川の水底に沈め、三日三夜に亘り施餓鬼供養を営み亡霊を成仏得脱させた霊場です。

 

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石和宿本陣跡

 

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小林公園
足湯もある公園で一休み。さすがに暑いので足湯はいりません。買ってきたアイスでクールダウン。ここは日本開発銀行初代総裁、東南アジア移動大使などを歴任した石和町名誉町民小林中翁の旧邸宅跡地です。

 

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石和八幡宮
武田信光鶴岡八幡宮を勧請し武田家の氏神としました。もちろん丸石の道祖神も。

 

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甲府市に入ります

 

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真っ白できれいなまん丸の道祖神
脇に和戸町由来柱もありました。和戸町は、平安期この付近を中心として栄えた表門郷(うわとのごう)の遺称で、古くから集落が発達していました。

 

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六地蔵

 

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青梅街道追分
内藤新宿甲州街道と分かれ、青梅・大菩薩峠を経由してここで甲州街道に合流します。大菩薩峠を超えていくのは大変そうだなぁ。歩くかなぁ、どうかなぁ~

 

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山梨学院大学
駅伝でおなじみの大学はここにありました

 

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自慢焼き (富士アイス)
今川焼じゃん!と思うのは首都圏だから? 神田今川橋近くが発祥なので今川焼です。では、自慢焼きの由来はなんだろう? 教えてほしいな

 

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石川家住宅
塗籠土蔵造りの立派な建物は、糸繭の問屋でした

 

39.甲府柳町
甲斐国の府中だったことから、甲府の地名となりました。武田家滅亡後、秀吉の代に築城した甲府城を中心に発展しました。「甲府柳町」の名は宿中程にある、柳町問屋場等の機能が集中していたところからつけらています。甲州道中宿村大概帳(天保十四年・1843)によれば、宿内家数は209軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠21軒。宿内人口は905人(男486、女419)

 

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ここにも富士山みっけ

 

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相生歩道橋
ここを曲がるを甲府駅です。今日はもうちょっと先まで。

 

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身延道追分道標
これはなんて新しいこと。昭和50年(1975)の区画整備により復元されたものです。

 

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本日はここで終了です


 甲府盆地に入りました。しばらく平たんな道が続きます。この日は、10月というのに夏のよう。最高気温は30℃。いつまでも夏のような日が続きます。勝沼ではお祭りをしていました。ワイン試飲放題¥1000ってとても魅力的だけど、どちらかというとビール日和かな。11月に入ると新酒が解禁。今年の出来は良さそうなので楽しみです。
 そして甲府盆地に入り目につくのが、丸石の道祖神。塩山を歩いているときにはじめて気が付いたのが最初。山梨以外で見かけないのは不思議です。