多摩川沿いの丘陵地に750mに渡って続く公園で、ここから眺める景色は多摩川八景に選定されています。都内最大級の古墳やアジサイ園、水生植物園など見どころ満載の公園です。
梅雨の晴れ間、あじさいを見て、渓谷をお散歩してきました。
多摩川駅から徒歩1分。公園内の4000株のあじさいが見頃をむかえていました。
アジサイの奥には、東急の鉄橋、そして先日渡った丸子橋も見えます。
植物園ではペチュニアに囲まれたウサギさんとリスさんがお出迎え
亀甲山古墳
多摩川台公園の中央に位置するのは、古墳時代前期(四世紀後半)頃に築かれたとされる全長107.25mの大きな前方後円墳で、多摩川下流域の首長墓と考えられています。大田区から世田谷区にかけて多くの古墳が築かれていて、荏原台古墳群と呼ばれています。他にも多くの古墳が残されています。
古墳展示室では、古墳について知ることが出来ます。
多摩川台公園の生みの親でもある下村氏が好んで立っていた丘の上にあるのは、海南亭という休憩施設です。
丘の上からは木々に遮られてよく見えませんが、崖上の道に立つと多摩川の奥にうっすらと丹沢が見えます。多摩川八景のひとつです。雲がなければ富士山も見えるんだけどなぁ。
この木は何だろう。
宝來山古墳
多摩川台公園の一番奥にあるのは、亀甲山古墳と同じころに築かれたとされる97mの前方後円墳です。標高37.5mの台地に築かれた古墳から崖線を階段で下ります。
丸子川
公園の外の出ると川が流れています。丸子川です。もとは六郷用水の一部で、国分寺崖線に沿って造られた堀川です。次太夫堀とも呼ばれています。先日歩いた六郷用水沿いとは違って何の説明板もありません。世田谷領にとっては百年もただ流れているだけでしたものね。丸子川としては丸子橋上流で多摩川に合流します。川沿いに歩いて等々力渓谷を目指します。
田園調布八幡神社
神社のHPには「創建は鎌倉時代の建長年間(西暦1249~1256年)と伝えられ・・・当時、この村の西側、現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸(ろうやと…今もそう呼ぶ年配者もいる)と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔々と打ち寄せる自然の良港であり、物資を積んだ舟が盛んに出入りしていた。また、この村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が 通り、篭谷戸の港に接続していた。港を中心としてこの一帯には多くの鎌倉武士が駐屯し、 鎌倉街道の要衝の地となっていた。そして、この八幡神社の地は港の入口に突き出した台地で、舟の出入りを監視できる重要な場所であった。 鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、 八幡神社を勧請した・・・」と、あります。多摩川の流れも時代によりだいぶ変わっているので、鎌倉街道がここを通っていたこともあるのでしょう。
ランチ(サンパータ)
八幡神社の脇から商店街に入ってお昼にしました。店内にかわいい猫グッズがいっぱいの居心地のいいカフェでした。
川沿いに戻ります。可愛いランタナの花が咲いています。
カルガモの親子
刻印みたいなのがある川の中の石はなんだろう
滝の橋
丸子川と谷沢川の合流点です。つての六郷用水は通水の高低差を確保するため谷沢川の上を交差して流れていました。現在はいったん谷沢川と合流したのち、水の一部をポンプで引き上げて下流の丸子川に流しています。
谷沢川
世田谷区桜丘付近の湧水を源として、等々力渓谷を流れ、丸子橋と交差してまっすぐ多摩川に合流します。
川沿いに進み、緑地の右手から等々力公園に入ります。もうハギが咲いています。
弁天堂
この先急な階段を上ると不動尊があります。
等々力不動尊
等々力にある満願寺の別院で、新義真言宗の宗祖興教大師が山城国よりこの地に移したと伝えられています。
御岳山古墳
等々力不動尊の正門は目黒通りに面していて、通りの反対側には古墳が見えます。荏原台墳群のひとつで、五世紀中ごろに造られた帆立貝形古墳です。
不動尊から急な階段を下りてきました。
不動の滝
渋谷粘土層と武蔵野れき層の間から湧き出す水が滝となって落ちています。等々力の地名は、滝の音が響き渡り「轟いた」ところからついたといわれています。この滝は等々力不動尊の霊域で滝行の地にもなっています。
延長約1㎞の渓谷で、武蔵野台地の南端に位置し、台地面を浸食して形成された開析谷です。
湧水
渋谷粘土層と武蔵野れき層の間からは、約30ヵ所以上の湧水が発生し谷沢川に流れています。また、一部は窪地に集まって湿地を形成しています。
横穴古墳(等々力渓谷3号横穴)
古墳時代末期から奈良時代にかけて構築された横穴墓が6基以上発見されています。この横穴墓は奥行きが13m以上ありこの地方を治めた有力者のものであると推定されています。
地層や水が湧き出ているのがわかります。
ゴルフ橋
昭和の初めに広大なゴルフ場があったことに由来しています。
ゴルフ橋をくぐるとすぐに階段が現れ出口になります。これは階段の途中から渓谷の上流を眺めた写真です。帰ってからちょっと調べていたら、この階段の下には逆川の暗渠があり、ここで河川争奪が起きたというのです。かつて谷沢川の上流は九品仏川で自由が丘の方に流れていましたが、台地を削りながら北上してきた谷沢川が九品仏川の上流を奪ってしまったというのです。何気なく歩いている場所にも壮大な歴史が隠れているんですね。
渓谷の上に温度計がありました。地上は26℃もあるのに、渓谷内は23℃。やっぱり違いますね。今日はこのまま等々力駅から帰ることにしました。