マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【鎌倉街道 下道】4日目 武蔵中原から大崎  2023.04.29(土・昭和の日)

池上本門寺(長栄山大国院本門寺 日蓮宗大本山

弘安五年(1282) 日蓮がこの地で入滅し、日蓮に帰依していた池上宗仲が屋敷の一部を寄進したことに始まります。この多宝塔は、日蓮上人を荼毘に付した霊蹟に、文政十一年(1828)に上棟されました。

 

武蔵中原 丸子 → 沼部 → 鵜の木 → 池上 → 大森 → 大井 → 大崎駅

 

  GW初日は風の強い一日でした。武蔵中原駅からスタート。多摩川を渡ると、道は二手に分かれます。旧中原街道を進む西の道と、旧池上道を進む東の道。HPを参考に東の道を進みます。六郷用水沿いに歩く気持ちのいい道でした。

 

駅を出て中原街道を進むとあちこちに庚申塔や石仏があります。

 

旧中原村役場跡

街道を丸子橋から岩川橋まで実測した真ん中に役所を設置したそうです。

 

二ヶ領用水(神地橋)

旧稲毛領と川崎領の二ヶ領の農地に水を引くため、江戸時代初めに建設された全長32キロの人工用水です。慶長十四年(1611) 代官小泉次太夫により完成しました。この先の小杉十字路の交差点で府中街道を渡ります。

 

庚申塔と大師道

道標を兼ねていて「東江戸道、西大山道、南大師道」と掘られています。

 

カギの道

直角に曲がる枡形道。敵の侵入を防ぎ、小杉御殿を守るために作られました。現在の交通事情には合わなくなっているので、小杉御殿入口から小杉十字路までを直線で結ぶ道路の造成がはじまっています。この道路が出来たら様子がだいぶ変わるでしょう。

 

小杉御殿跡

慶長十三年(1608) 徳川秀忠によって中原街道沿いに建設された徳川将軍家の御殿です。中原街道は江戸と元箱根を結ぶ主要な街道でしたが、東海道が整備されると利用が減少したため廃止されました。

 

龍宿山金剛院 西明寺真言宗智山派

創建年代は不詳ですが、弘法大師が東国御巡化のさいに堂宇を建立、北条時頼の信仰も篤かったと伝わります。江戸時代は小杉御殿が隣に建立され、将軍家の崇拝を受けていました。

 

旧石橋醤油店

明治三年(1870) から醤油づくりをはじめ、昭和26年(1951)まで製造をしていました。2013年まで工場の建物が残っていたそうです。

 

旧名主家と長屋門

小杉村の名主であった安藤家が幕末ごろに建てた長屋門です。

 

原家旧住宅表門(陣屋門)

明治後期の建築で、総欅造りの薬医門と呼ばれる様式で建てられています。敷地に建てられていた旧母屋は、川崎市立日本民家園に移築されています。

 

丸子の渡し碑

多摩川までやってきました。「丸子の渡し碑」があるというのですが・・すっかり草に覆われています。昭和九年(1934)に橋が完成するまで、川を渡る唯一の交通機関は渡しでした。

 

丸子橋

多摩川を渡ります。2000年に架け替えられたもので、橋長405.60m、橋の中間線が県境になっています。

 

河川敷に下りて進んでいくと、丸子の渡し跡の案内板がありました。

 

土手に上がって東急多摩川線の踏切を渡ります。まっすぐ進むと旧中原街道・桜坂に続きますが、今回は二つ目の信号を右に曲り中原街道とはお別れ。六郷用水沿いに進んでいきます。JRのガードをくぐり、密蔵院脇の左手細道、六郷用水沿いに進みます。

 

明楽山 森立寺 密蔵院(真言宗智山派

創建の年代は不明ですが、鎌倉時代観音堂が起源ではないかとされています。

 

六郷用水沿いに進みます。六郷用水は、慶長二年(1597)に開削がはじまり、慶長十六年(1611) に二ヶ領用水とあわせて完成した多摩川の水を利用した用水施設です。全長約23キロメートル。工事を指揮した代官・小泉次大夫の名に由来し次大夫堀とも、六郷領の開発が目的のため六郷用水ともいいます。用水が通るだけだった世田谷領で利用が認められるようになったのは、百年も後の事なんだとか。

 

庚申塔

 

女堀

この辺りの地形は上り勾配の堅い地盤で、開削時最大の難所でした。そのため、女性も動員して開削したから、若い女性を作業に加えたら作業がはかどったから、また、次太夫の夢枕に女神(木花咲弥姫)が現れお告げ通りに工事を行ったからなど、いくつか女堀と呼ばれた名の由来が伝わっています。用水沿いに進んで環八に出たら少し先の信号を渡ります。正面の坂を上ると神社が見えます。

 

鵜木八幡 庚申塔

当地の名主である天明家の邸内社であったとされています。社殿は2000年に再建されています。ちょっと変わった狛犬が有名だそうで、なんと右の狛犬は授乳中です。

 

境内の外には稲荷社と庚申塔がありました。

 

ぬめり坂の庚申塔と道標

道の合流点に庚申塔と道標。なだらかな坂ですが雨の日はぬめって上れなかったので、ぬめり坂と名付けられたそう。村の娘が生埋めとなり通行が容易となったという話が残っています。

 

藤森稲荷神社

ぬめり坂の登り口にある小さな神社です。とてもきれいに手入れされています。この辺りが国分寺崖線の突端になるのかな。このさきは台地の縁を歩いていきます。

 

下丸子への分水口跡

環八が見えてきたら手前の細道を入り、分水口跡から用水路跡を進んでいきます。この先で用水は、北堀(池上、大森方面)と南堀(蒲田、六郷方面)に分かれます。北堀沿いに進んでいくと第二京浜に突き当たるので、迂回して信号を渡り街道に戻ります。

 

池上通りと呼ばれる六郷用水路跡の道を歩いていきます。所々に案内板や題目碑があり、のんびりと歩けます。進んでいくと道が二手に分かれて、旧池上通と用水跡の遊歩道に分かれます。下道は池上通りを進みます。

 

九寿餅 池田屋

だんだんと街並みが賑やかになってきました。そろそろお腹が空いてきたので、お昼にしましょう。茶飯やおでんもあったけど、甘味の誘惑に勝てずおやつのようなランチになりました。くず餅美味しいです。腹ごしらえをして池上本門寺にお参りしましょう。

 

池上本門寺(長栄山大国院本門寺 日蓮宗大本山

弘安五年(1282) 日蓮がこの地で入滅し、日蓮に帰依していた池上宗仲が屋敷の一部を寄進したことに始まります。この立派な総門は元禄年間に建てられました。

 

池上本門寺 石段

加藤清正の寄進によって造営されたと伝えられ「法華経」の偈文にちなみ96段で構築されています。

 

大坊・本行寺

日蓮上人が入滅した池上宗仲の館跡が寄進されて、本行寺が開創されました。

 

池上会館の屋上に上ってみました。五重塔がよく見える。二代将軍秀忠の乳母・春日局の発願により慶長十三年(1608)に完成した関東最古の五重塔で国の重要文化財になっています。すっきり晴れていれば富士山も見えるんだけどなぁ。

 

照栄院

正応四年(1291) 日蓮上人の庵室として開創されました。さて、街道に戻りましょう。

 

いにしへの東海道

街道を進むと寿司屋隣の公園入口に「いにしえの東海道」と刻まれた石碑がありました。「この道は 時代により 奥州街道 相州鎌倉街道 平間街道 池上往還 と呼ばれた古道です」街道沿いにいくつかあります。

 

春日神

言い伝えによると鎌倉時代に奈良の春日大社から勧請されたそうです。環七をくぐると賑やかな池上通りに合流します。

 

新井宿義民六人衆 墓(善慶寺墓地)

延宝年間(1673-1681) 領主の厳しい年貢の取立てに耐えかねて、年貢減免を直訴しようとした百姓六人が処刑された事件で、縁故関係の人物が父母の墓という名目で密かに供養しました。

 

天祖神社 

商店街を進みJR大森駅前まで来たら、左手の階段を上り、さらに石段を上ると小さな神社があります。境内のシイの木の樹齢は400年といわれています。

 

かつてはここから大森海岸や房総辺りまで見渡せたとされ、広重の名所江戸百景「八景坂鎧掛松」に描かれてるほどでした。今は大森駅が見えるばかりで、描かれていた松もありません。

 

馬込文士村 レリーフ

神社脇の坂道には文士たちのレリーフや説明板があります。大正から昭和初期にかけて文士たちが移り住み、盛んに交流していたそうです。文士たちの住居跡やゆかりの地を巡る散策コースがあるそうです。

 

大森貝墟碑

明治十年(1877) モース博士は、横浜から新橋に向かう車窓で大森貝塚を発見しました。NTTビルの脇を入り階段を下りると線路際に大森貝墟碑が建てられています。ここは大田区

 

大森貝塚遺跡公園

先ほどの大森貝墟碑から約300mのところにあるのは貝塚遺跡公園。園内には保存された貝塚標本もあります。住居跡や石器なども見つかっています。こちらは品川区。長いこと大田区と品川区が本家の争いをしていましたが、大田区側からは遺物が発見されていないので、品川区に軍配が上がっています。

 

鹿神嶋社

安和二年(969)に常陸国鹿島神宮から分霊を勧請したのが始まりと伝わります。この先の品川歴史館手前の道を右に入ります。歴史館は大規模改修工事のため休館でした。来年(2024)の春頃に再開予定だそうです。

 

大井の井(光福寺)

墓地内に大井の名の由来となった井戸があります。寺伝によると「鎌倉時代親鸞聖人門下の了海上人の父が子授けを蔵王権現に祈願したところ、妻が懐妊し、男子(了海)を出産した。その時、境内に忽然と泉が湧き出したので、この泉の水を産湯として使い、泉を大井と命名したという。大井の地名は、この泉に由来すると伝えられている。」とあります。

 

境内にあるイチョウは、樹齢約800年、高さ40mの大木で、沖合の漁師たちは航行の目標にしたといわれています。

 

街道を進むと池上通りに合流します。大井三ツ又の交差点を歩道橋で渡ると小さな地蔵堂がありました。この先は適当に進んで東急大井町線のガードをくぐり品川区役所の前の道を進みます。

 

しながわ中央公園で一休み。しばらく飛行機を眺めてました。もう何年も乗っていないなぁ。

 

JRのガードをくぐり、湘南新宿ラインの線路沿いを歩いて、百反歩道橋で線路の反対側に渡ります。

 

百反歩道橋

新幹線、横須賀線りんかい線湘南新宿ライン‥沢山の電車をすぐ近くで見ることが出来ます。さらに飛行機まで見える乗り物スポットです。しばらく電車をながめて、今日は終了。大崎駅から帰ります。

 

 GW初日は風の強い一日でした。六郷用水沿いに続く道は気持ちのいい散歩道。起伏も少なく歩きやすい道でした。今回、坂が多かったのは池上本門寺の中。初めて訪れました。波乱万丈な人生を過ごした日蓮上人。興味深い人物です。大森や大井は通り過ぎるだけで、散策したことはなかったのですが、商店街がにぎやかです。面白そうな散歩道もありそうなので、ゆっくり歩いたら楽しそうです。