マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【駅ハイ】ネイチャーミュージアム!天空の石切場を廻る鋸山絶景ハイク 2023.11.3(金)

鋸山(観音堂窟)

鋸山

 標高329.5m。正式名称は「乾坤山」といいます。露出した山肌の岩が鋸の歯のように見えることから「鋸山」と呼ばれています。凝灰岩から成り、「房州石」と呼ばれる石材の産地として江戸時代から盛んに採石が行われました。加工しやすく耐火性に優れた石で、かまどや七輪、蔵、石垣や石塀、建物の土台など幅広く利用されました。横浜港開港の際には、護岸用に大規模に採取され、横浜高島桟橋基礎や横須賀軍港の港湾設備などに利用されています。

 

金谷港 → 鋸山案内所・石の舎(スタート) → 車力道 → 石切り場(猫丁場) → 東京湾を望む展望台 → 石切り場(岩舞台) → 石切り場(ラビュタの壁) → 日本寺 → (オプションルート・鋸山ロープウェー) → 金谷観光案内所金谷ステーション → 鋸山美術館・別館鋸山資料館 → 恋人の聖地モニュメント → ザ・フィッシュ → 金谷港

 

 眺めてはいたものの登ったことがなかった鋸山に行ってきました。駅ハイだからとあまり下調べもせずに出かけたのですが・・・登山じゃん。普通のスニーカーで出かけてしまいました。おまけにびっくりするほどの階段の多さ・・・・サポーターもしてくればよかったなぁ

 

 久里浜港から東京湾フェリーに乗ってスタートの金谷を目指します。久しぶりの船旅。お天気がいいのに霞んでいて富士山が見えないのがちょっと残念ではあるけれど、旅行気分でウキウキ。

 

鋸山案内所(石の舎)

 金谷港から浜金谷駅の前を通り過ぎ、少し進んだところに受付がありました。ちょうど電車もついたところで、人がいっぱいです。

 

 地図に沿って歩いていくと、道が三つに分かれています。左の「車力道」に進みます。真ん中の道は「関東ふれあいの道」階段が大変そうだと思いながら地図をよく見たら、帰りはここから戻ってくることになっている・・・

 

車力道

 鋸山の頂上部付近で切り出された石(房州石)を猫車と呼ばれる手押し車で運び出した道。1本80キロの房州石を3本乗せて運んでいたそうです。石の重みで道の表面には荷車の轍の跡が残っています。この石を運搬したのは「車力」と呼ばれる女性たち。空の荷車を背負って頂上まで上がり、1日3往復したとか。想像できないくらい大変な重労働です・・・

 

石切り場(猫丁場)

 石切りの合間に彫ったのでしょうか。毛糸玉で遊ぶ姿が可愛らしいです。数年前にできたというハートの窓もありました。

 

東京湾を望む展望台

 展望台と日本寺の分れ道に来たところで(また戻ることになるけど)展望台へと進みます。人が多かったので、写真はありませんが・・・うんざりするくらい階段が続きます!! でも展望台についた時の眺めは最高。富士山が見えればさらに気分アップすること間違いなし。ベンチもあるので少し一休み。標高329.5mの山頂へは、この展望台の少し下にある分れ道から行くことができるようですが、あまり眺望はよくないそうです。

 

 

 分れ道まで戻ると、見上げるような石切り場の跡が現れます。窓のように開いた横穴は、良質な石材の地層に沿って奥へと切り進んで出来たもの。切通は、切り出した石材を運ぶために造られました。

 

 

石切り場(岩舞台)

 昭和60年頃まで採石が続けられた最後の石切り場跡です。「安全㐧一」の文字の上あたりで、切り出す道具がツルハシからチェーンソーに変わったそう。いわれると岩の表面が違うかも。

 

石切り場(ラビュタの壁)

 垂直面96mの石切り場跡です。これが人の手によって切り出された壁とは・・・

 

百尺観音

 関東ふれあいの道との分岐で、日本寺へと向かいます。日本寺までの道は滑りやすいので足元注意です。北口から日本寺に入ります。お寺の中に入るとすぐに大きな仏像が出迎えてくださいました。かつての石切り場の跡に、昭和41年(1966)に完成した大きな観音様です。名前の通り、高さ百尺(約30m)あります。

 

地獄のぞき

 よくわからず行列に並んでしまいましたが、あまりにも進まないので地獄のぞきは諦め、離脱して山頂展望台からの眺めを楽しみました。それでも30分以上は並んでいたかも。地獄のぞきまで行くと優に1時間はかかったと思う。展望台からはパンフレットでよく見る地獄のぞきの岩がよく見えます。その昔は、突き出た岩と対岸の岩の上部は繋がっていて、不思議な形に残されたのは、その繋がった線が上総国安房国の国境になっていたからだそうです。

 

千五百羅漢道

 多くの石仏が並ぶ道を下っていきます。首がない石仏も多く見られるのは、明治の廃仏毀釈の影響だといわれます。また、羅漢像の中から自分の思う人に似た顔の首をとってきて、ひそかに供養すると願い事がかなうという話や、日露戦争の際に、出兵兵士が大将首をとるためのゲン担ぎとして首を落としていったという話もあるとか。なんとも・・・

 

宝篋印塔

 江戸蔵前の大口屋平兵衛が寄進

 

日本寺大仏 (薬師瑠璃光如来

 日本一の高さ(31.05m)を誇る日本寺の御本尊・薬師瑠璃光如来です。原型は、天明三年(1783)に大野甚五郎英令が門弟27名と共に彫刻した石仏で、長年の風蝕により崩壊状態になっていたものを、昭和44年(1969)に修復しました。創建当時は今よりも高く、9丈2尺(役7.7m)あったそうです。下記はHPに架かれている日本寺の案内です。

「今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山されました。開山当初法相宗に属し、天台宗真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っております。日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫(りゅうしゃく)したと記録されています。良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、弘法大師空海)は100日間護摩を焚かれ石像の大黒尊天を彫られました。仁王門の金剛力士像は慈覚大師の作と伝えられています。」

 

鋸山ロープウェー

 関東ふれあいの道を歩いて観月台を経由して戻るのが本来のコースですが、だいぶ足に来ていたので、オプションコース・鋸山ロープウェーで下りることにしました。地図にはちゃんと割引券もついていました。さすがわかっていらっしゃる。

 

金谷神社

 ロープウェーを下りた先にある神社です。コースには入っていないので、写真だけ撮ったのですが、後で調べてみると「大鏡鉄」という直径1.6m、厚さ11㎝、重さ約1.5tもある巨大な円形の鉄の塊があるのだそう。文明元年(1469)に海中から引き揚げられ「鉄尊さま」と呼ばれ、鉄なのに錆びないということで不老の御利益を求める信仰の対象になったそうです。

 

金谷観光案内所金谷ステーション

 温泉施設もあるこの場所が今日のゴールですが、オプションコースを選択したので、通り道にあるため先に寄ることにします。ゴール受付はありませんが、クイズラリーに参加して正解すると景品がもらえるのです。東京駅のイラストが描かれたトートバッグでした。

 

BAYSIDE KANAYA

 金谷ステーションの前にあるホテルのレストランで遅い昼食をいただきます。おしゃれすぎて汗だくのハイカーにはちょっと敷居が高かったのですが、駅ハイの割引があったので、ここのレストランにしました。お刺身も鯵のフライも美味しかったです。

 

鋸山美術館・別館鋸山資料館

 フェリーの時間があるので、外観だけ。コンクリートと房州石が使われているそうで、黒っぽいところが房州石です。魚のオブジェも素敵です。別館の資料館は房州石で造られた石蔵だそう。資料館だけでも見学すればよかったかな

 

恋人の聖地モニュメント

 フェリー乗り場の駐車場の奥にある「幸せの鐘」夕暮れ時にカップルでこの鐘を鳴らすと永遠の恋が成就するそうですよ。

 

ザ・フィッシュ

 フェリー乗り場の隣にある施設で、レストランやお土産屋が入っています。

 

 東京湾フェリー久里浜に戻ります。鋸山が夕日に照らされています。夕日が沈むのを眺めるなんて何年ぶりだろう。うっすら富士山も浮き上がってきました。

 

 久里浜港はもうすぐです。

 

 鋸山・・・なめてました。階段地獄です。まぁ、海からすぐに300m以上の山が切り立っているのですから、そりゃぁ急登になりますよねぇ。大変でしたが、道は整備されています。といっても雨の日は滑るだろうなぁ。それにしてもこの急な道を、80キロもある石を三本も猫車に乗せて下っていくなんて・・・とても私にはできそうもありません。脱帽です。

 日本寺の大仏は大きくて包容力を感じます。大仏を見てすっかり満足してしまい、その下にある薬師堂や観音堂に行くのを忘れていました。本堂は昭和14年(1939)の大火災で焼失して以降再建されていないそうです。ロープウェー乗り場には石のポストもあったそうですが、こちらも見損ねてしまいました。

 鋸山も日本寺も見学していると時間があっという間に過ぎてしまいます。携帯食は持っていたので空腹を抱えることはなかったけれども、お目当てのお店は閉まってしまったので、麓でお昼にしたい場合は朝早くに出かけないと間に合わないかも。

 フェリーに乗ってのちょっとした小旅行。とても楽しい一日になりました。