☆データ☆ (100名城ガイドブックより)
・城地種類 平山城
・築城 建久10年(1199) 相良長頼
文明2年(1470) 相良為続
天正17年(1589) 相良長毎
・主要城主 相良氏
(登城日: 2015年12月28日)
人吉荘の地頭として下向した相良長頼の築城と伝えられ、天正17年相良長毎が大改修を開始、本丸・二之丸・御殿部分を竣工。寛永年間(1624~44)に石垣が完成しました。球磨川を外堀として多くの船着き場を設け、水運を積極的に取り入れていました。文久2年(1862)の火災を契機に武者返しをつけた西洋式石垣を導入。しかし明治5年(1872)からの払い下げにより廃城となり、石垣を残すのみとなりました。
写真は全国でも珍しい武者返しの石垣
武者返しの石垣
石垣の上に石材が突き出す「撥出」技法で作られた武者返しの石垣は、全国でも珍しいものです。侵入してくる敵を阻むためと、大火があったため防火のためにもと造られたそうです。
堀合門
(平成19年/2007 復元)
御下門跡
中御門跡
本丸跡
まわりが木に囲まれていて眺望はありません。
二の丸(御殿)跡
うっそうと木が生えていて、何だか御殿跡とは思えない暗さ
二の丸跡から望む三の丸 南西方向
気持よ~くお昼寝している人が・・・こちらは日当たりが良くて気持ちのいい場所です。
こちらは三の丸から二の丸
於都賀社跡
相良長頼が矢瀬主馬佑を誅殺した際、主馬佑の母親が自害し、亡霊となって祟ったことから、三の丸に祀られました。
神社跡から西方向
北方向 球磨川
水の手門
相良氏は球磨川を整備して水上貿易を行っていました。
角櫓、長塀(平成5年/1993再建)
多門櫓(平成5年/1993再建)
大手門跡に建つ