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まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【日本100名城 その20】  92 熊本城

92 熊本城 (熊本県熊本市)  別名:銀杏城
 
 
 
イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平山城
 
 ・築城     慶長12年(1607) 加藤清正
 
 ・主要城主 加藤氏、細川氏
 
 
 
                                (登城日: 20151227日)



 
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熊本城
 慶長6(1601)室町時代に築かれた千葉城や隈本城があった茶臼山一帯に、加藤清正が築城、慶長12(1607)に完成した。最高所にある本丸には大天守や小天守を建て、各曲輪には山荘天守に匹敵する五階櫓を五基も建て並べた。加藤氏改易後は細川氏が入り、明治維新を迎えた。明治10(1877)西南戦争では城内に籠った新政府軍を西郷軍が攻めたが、落城せず城の強固さは証明されたが、本丸の大部分が焼失。宇土櫓はじめ12基の櫓や清正流と称される高石垣もほぼ完全な姿で現存している。
写真は二之丸からみた、小天守(左)宇土()、大天守(右) 


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白漆喰に黒の下見板を張り桟瓦が乗る242mの現存塀で、内堀である坪井川に沿って建つ


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馬具櫓(はぜ方門)


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竹の丸から見る天守


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田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓
現存する重要文化財櫓群


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東十間櫓、北十八間櫓、五間櫓
現存する重要文化財櫓群


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平櫓 北十八間櫓
現存する重要文化財


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不開門


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五階櫓跡


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二様の石垣
手前の傾斜が緩やかなものが創建当初のもの。奥の石垣は細川氏時代に継ぎ足されたもの。


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飯田丸五階櫓(再建)


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飯田丸の脇に立つ樹齢約800年の楠。熊本城内にはたくさん立派な木があるけれども、これが一番だと思う。


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西南戦争開戦三日前に原因不明の出火で焼失。現在の天守格は昭和35(1960)に外観復元したもの。石垣は当時のままで扇方の勾配といわれる反りが美しい。大天守は地上6階地下1階、石垣の上から高さ約30m、小天守は地上4階地下1階、高さ約19m。入口を入って1階で小天守を先に見ておかないと見損ねてしまいます。って、見損ねてもう一度入りなおしたのは私ですが・・・。小天守は秀頼を迎え入れるために造られたとも言われています。


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本丸御殿(大広間)
平成15年から五年かけて平成20年に再建された本丸御殿


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本丸御殿
奥が昭君之間。清正公が生きていたら、ここに秀頼公が来たかもしれない。


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天守からの風景(東) 宮崎方面


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天守からの風景(南) 鹿児島方面


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天守からの風景(西) 長崎方面


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天守からの風景(北) 福岡方面


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創建当時から残る唯一の多層櫓。天守にも劣らない立派さです。


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西大手門(再建)


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奉行丸


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二之丸


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戌亥櫓(再建)


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百間石垣


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監物櫓(現存櫓・重要文化財


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旧細川刑部邸
三之丸に建つ移築復元されたもの



 行ってきました!お城人気No.1の熊本城。とにかく見どころ満載。見ごたえ十分。初めての登城で勝手がよくわからず地図を片手にあちこちウロウロ。石垣も天守閣も登りがいがあります。とにかく石垣の多さ、高さに圧倒されます。時代の違う石垣がすぐ隣同士にあるので違いを比べるのも楽しいかも。西南戦争で焼けてしまったのがとても残念だけど、焼けてなくても明治になったら取り壊されていたかもね。天守閣は鉄筋コンクリート造りで中は資料館になっています。加藤清正が生きていたら、大阪の陣はどうなっていたか。暗殺説も本当に思えます。その後の細川家は加藤家に対してとても礼を尽くして入城したそう。清正人気の秘密はそこにもあるとか。そして現存櫓の宇土櫓、飯田丸の再建櫓は、櫓とは思えないほど立派。中の見学もできます。とにかく何時間居ても飽きない。おもてなし武将隊のステージもあるしね。4時間以上いたのにまだまだ見足りませんでした。この後もどんどん再建計画が進んでいます。城下町もゆっくり歩く時間がなかったし、また遊びに行きます。名城スタンプは各入城門にあります。