マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

駅からハイキング・旧東海道神奈川宿と浦島伝説史跡名所めぐり (10/18~11/23)   2015.11.22(日)

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浦島寺(慶運寺)
神奈川には浦島太郎伝説が伝わっています。
「相模の国三浦の里に、水江の浦島太夫という人が住んでいました。太夫は仕事のため、久しく丹後の国へ赴いていました。その子の太郎が一日海に出て帰る際、浜辺で子供らにいじめられていた亀を助けました。太郎は助けた亀に連れられて「竜宮城」へ行き、乙姫様のもてなしを受けました。月日の経つのも夢のうちで、いつしか3年の歳月が流れました。父母恋しさに暇を告げたところ、乙姫様は別れを惜しんで、玉手箱と聖観世音菩薩を太郎に与えました。故郷の土を踏んだ太郎には、見るもの聞くものすべて見知らぬものばかりでした。ついにこの玉手箱を開きますと、中から白い煙が出てきて白髪の老人になりました。3年と思ったのが実は300年、すでに父母はこの世の人ではなく、武蔵の国白幡の峰に葬られてあると聞いて尋ねてみると、二つの墓石が淋しそうに並んでおりました。太郎は墓の傍らに庵を結んで菩薩像を安置し、父母の菩提を弔いましたが、この庵がのちの観福寿寺で、通称「うらしまでら」と呼ばれました。観福寿寺は明治5年に廃寺になり、現在は慶運寺に聖観世音菩薩像が安置されています。(神奈川区役所HPより)」


東神奈川駅 → ①蓮法寺 → ②長延寺跡・土居跡(オランダ領事館跡) → ③笠のぎ稲荷神社 → ④神奈川台場公園 → ⑤宮前商店街と旧街道→ ⑥甚行寺(フランス公使館跡) → ⑦神奈川台の関門跡 → ⑧高島山公園→ ⑨本覺寺(アメリカ領事館跡) → ⑩浄瀧寺(イギリス領事館跡) → ⑪神奈川の大井戸 → ⑫慶運寺 →⑬成仏寺 → 東神奈川駅   約7,5km



今回も駅からハイキングを歩いてきました。先週に引き続き旧東海道を歩きます。東神奈川駅で受付をしたら、西口を出て1号線を渡って川崎方面に歩きます。


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①蓮法寺 (浦島太郎父子の供養塔と亀塚)
神奈川区は浦島太郎ゆかりの地ということで、浦島太郎にまつわる伝説が残っています。蓮法寺の階段を登った門前には、浦島太夫、太郎父子の供養塔や亀塚の碑があり、浦島伝説を現在に伝えています。」


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山門にも亀


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蓮法寺に向かう途中の交差点には「浦島小入口」「浦島丘」など浦島太郎にまつわる地名が付いています。蓮法寺から元来た道を途中まで戻り、歩道橋で線路を渡ります。これは電車用の洗車機かな。


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②長延寺跡・土居跡(オランダ領事館跡)
「昭和40年までこの地にあった長延寺が、開港当時オランダ領事館だったことを伝える碑があります。また、神奈川宿の江戸方の入口にあたる長延寺には土居を互い違いに突き出した枡形がありました。」
 京急 神奈川新町駅脇にある神奈川通東公園が跡地になります。区画整理によって長延寺は緑区に移転しました。


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③笠のぎ稲荷神社
「社前を通行する者の笠が自然と脱げて地に落ちたことから、「笠脱稲荷大明神」と称され、後に別当能満時の阿闍梨が笠脱の一字を訂正し「笠のぎ稲荷大明神」と改称されました。横浜指定有形文化財「板碑」と無形民俗文化財「節分追儀式」が伝えられています。」
 笠のぎ稲荷の「のぎ」の字が変換できません。のぎへんに皇という字です。


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稲荷神社から第一京浜(15号線)に出て歩いていると街燈の上にカメを発見。


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④神奈川台場公園
「神奈川県台場は、江戸時代末、横浜開港の翌年(1860)に完成した海上警備のための砲台です。沖合に造られた人口の島に14基の大砲がすえつけられ、東西2本の取渡り道で陸と結ばれていました。神奈川台場公園の地下には、西取渡り道が埋まっています。」
 奥の自動車が停まっている辺りは船溜まりでした。


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公園の少し先には台場の石垣がわずかに残っています。


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滝ノ川を渡り神奈川公園沿いに旧東海道に合流します。


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⑤宮前商店街と旧街道
「宮前商店街は、東海道の風情を今に留めるところで、かつての神奈川宿の「亀の甲せんべい」は有名で、幕府や諸大名の御用達だったといわれています。」
 シャッター通りというより、商店はほとんどありません。マンションばかりです。亀の甲せんべいも今は売っている店がありません。どこかで復活してくれないかなぁ。


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⑥甚行寺(フランス公使館跡)
「甚行寺の本堂は土蔵造りでしたが、改造を加えてフランス公使館として利用されていました。境内には横浜市の名木古木に指定されている樹齢290年以上のイチョウの古木があります。」


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商店街を抜け、青木橋を渡って坂をのぼります。このあたりはかつて神奈川の台と呼ばれ、神奈川湊を見下ろす景勝の地でした。今はもう海は見えませんが。この日はガイドウォークが行われていて、人がいっぱいいる辺りがおりょうさんの働いていた料亭田中屋です。


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⑦神奈川台の関門跡
神奈川宿東西に造られた関門のひとつが西側・神奈川台の関門です。文久2(1862)生麦事件の際には、島津久光の行列の通過を待って、直ちに関門を閉じ、イギリス兵の追撃を封じたといわれています。」
関門跡から東海道を外れて坂を上っていきます。


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⑧高島山公園
「鉄道用地の埋め立てに尽力した横浜の実業家、高島嘉右衛門がこの地に住んだ事から高島山と呼ばれるようになりました。鉄道用地埋立などの事業の後、嘉右衛門がこの丘に閑室を設け港内の繁栄と事業の功績を望み、欣然として心を癒したことから望欣台と名付けられました。」
正面の碑は、三宝寺の住職であった歌人弁玉の歌碑兼顕彰碑です。


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⑨本覺寺(アメリカ領事館跡)
「開港当時、アメリカ領事館として利用されていました。領事館時代に赤、黒、白のペンキを塗られた山門の彫刻は、この地域に残る唯一の江戸時代に遡る建築です。」
山門は、日本で初めてペンキが塗られた純日本建築物であると言われていて、その縁で全国塗装業者組合建立の合同慰霊碑が、山門のすぐ近くに建てられています。


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⑩浄瀧寺(イギリス領事館跡)
「開港時にはイギリス領事館として利用されていました。横浜大空襲で焼失してしまいましたが、当時、イギリス領事館が手植えした「多行松」と呼ばれる松があり、横浜十名木とされていました。」
再び青木橋を渡り、線路沿いに歩いて浄瀧寺へやってきました。


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⑪神奈川の大井戸
「宗興寺の境内のすぐ脇にある神奈川の大井戸は、徳川将軍や明治天皇の通行の際、その水が使われたといわれています。」
この井戸の水量の増減で翌日の天気を知ることができるといわれ、「お天気井戸」とも呼ばれていました。今は木の蓋でふさがれて覗くことはできません。、飲用可とか不可の説明も無いので、飲めるのかどうかもわかりません。宗興寺は開港当時、ヘボン博士が施療所を開いていた場所です。そして井戸の前にある青海波の模様。これは神奈川区の見どころを教えてくれています。


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滝ノ橋と本陣跡
滝ノ橋の両側に神奈川本陣、青木本陣が置かれていました。


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⑫慶運寺

「開港時にフランス領事館として利用されていました。通称浦島寺とも呼ばれ、浦島太郎が竜宮城に行ったとき、乙姫様からいただいたという菩薩像などが伝わっているといわれています。」
 このお堂の中に菩薩像が安置されています。


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手水場や植木もカメです。


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⑬成仏寺
「開港当時、アメリカ人宣教師の宿舎として使われていました。ヘボン式ローマ字で知られ、日本最初の和英辞典を完成させたヘボンの宿舎でもありました。」
鎌倉時代の創建と伝えられる浄土宗のお寺。徳川三代将軍家光の上洛に際し、宿泊所の神奈川御殿造営のため現在地に移転しました。


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成仏寺の境内にいたネコ。カメラを向けたら睨まれてしまいました。


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高札場

神奈川地区センター前にある高札場は、かつて滝ノ橋のところにありました。



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ぐるっと回って駅の東口に戻ってきました。今日のお昼は駅ハイ特典のサンマルクカフェでいただきまーす。
 
 
東海道でも歩いた神奈川宿。神奈川には浦島太郎伝説が伝わっています。区のマスコットもカメの「かめ太郎」。歩いているとあちこちにカメのモチーフ。全国各地に浦島太郎伝説は残っていますが、神奈川にもあるとは、横浜生まれの横浜育ちなのに東海道を歩くまで知りませんでした。神奈川区民以外知らないんじゃなかろうか?横浜開港以降、すっかり街の賑わいは移ってしまったけど、散歩をするといろんな発見があります。今回は駅ハイで歩いたけど、神奈川区には「神奈川宿歴史の道」という散歩道が整備されていて、案内板や道路にある青海波でわかりやすく歩けるようになっています。