マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

駅からハイキング・旧東海道川崎宿から川崎大師へ。川崎歴史めぐり (10/17~11/23)   2015.11.15(日)

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平間兼乗という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、川崎の地に住みつき、漁猟を生業として海中に網を投じたところ、弘法大師の木像を引き揚げました。この像を浄め供養をしていました。高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上、たまたま兼乗のもとに立ち寄り、木像にまつわる話に感泣し、大治3年(1128)一寺を建立しました。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。


川崎駅びゅうプラザ前 → ①芭蕉句碑 → ②小土呂橋跡 → ③川崎・砂子の里資料館 → ④東海道かわさき宿交流館 → ⑤田中本陣跡→ ⑥川崎稲荷社 → ⑦六郷の渡し跡 → ⑧京急大師線港町駅港町十三番地」歌碑 → ⑨川崎大師表参道・仲見世通り → ⑩川崎大師平間寺 → ⑪中島八幡神社 →⑫稲毛神社 →川崎駅   約9.5km



 久しぶりに駅からハイキングのいつでもコースを歩いてきました。スタートが12時までと遅かったので、早昼を済ませてのんびりとスタートです。まずは八丁畷駅手前の芭蕉句碑を目指しましょう。コース説明は「駅ハイひとくちメモ」を丸写し。



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芭蕉句碑
「元禄7(1694)に故郷・伊賀まで最後の旅に出た芭蕉多摩川を渡り、川崎宿のはずれ京口近くに付き休憩した茶店で分かれと惜しんでついてきた門人たちへ向け「麦の別れ」と呼ばれる「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」の句を詠んでいます。「芭蕉の句碑」は、門人の一人・一種が「麦の別れ」の句を刻んで建立したものです。」
 芭蕉はこの年の10月大阪で51歳の生涯をとじました。弟子たちにとってこの場所での別れが、一生の別れとなってしまいました。享年51歳・・・お爺さんだとばかり思っていた芭蕉の年齢をもう越えてしまいました。


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芭蕉ポケットパーク
句碑の手前のマンション入り口の脇には、同行した弟子たちが詠んだ句が書かれています。


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②小土呂橋跡
東海道が新川堀という排水路を横断するところにかかっていた橋で、昭和69(1931-1934)に埋め立てられたため、橋の欄干の親柱だけが交差点脇の歩道に保存されています。」
 芭蕉句碑から旧東海道日本橋に向かって歩いていきます。


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③川崎・砂子の里資料館
「かつて東海道川崎宿としてにぎわった地に建てられています。浮世絵を中心に月替わりで企画展示を実施。なまこ壁風の江戸町家の外壁は、当時の町並みを連想させてくれます。」
 砂子はイサゴと読みます。日曜日は休館でした。


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街道沿いにはこんなのぼり旗。2023年に川崎宿400年。


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東海道かわさき宿交流館
「江戸時代の賑わった東海道川崎宿をタッチパネルで操作できる映像や模型などによって学ぶ事ができる文化交流施設です。川崎名産品などの販売も行っています。」
2013101日に開館。私が歩いていた時には無かった施設。とてもきれいな建物で川崎の歴史が学べて、休憩もできます。ただ何となく活気が無いように感じるのはたまたま?


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⑤田中本陣跡
「主に大名、公家、旗本などが宿泊する施設で、門構え、玄関付、延231坪の堂々たる建物でした。本陣家の主人である田中休愚は、本陣、名主、問屋役の三役を兼務し、六郷の渡船権を川崎宿に譲り受けて、宿場の財政を立て直しました。」
 川崎宿3つあったといわれる本陣の中で最も古くからあり、参勤交代により栄えましたが、江戸後期には大名家の財政難や参勤交代の緩和により衰えも目立ち、安政4(1857) アメリカ駐日領事ハリスが、宿を万年屋に変えたというほど荒廃していたそうです。今では案内板が残るのみ。


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⑥川崎稲荷社
徳川吉宗江戸城入りの際、社地で休息したと伝えられています。現在のものは昭和26(1951)に再建されたものです。」


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⑦六郷の渡し跡
「関東でも屈指の大河である多摩川下流域は六郷川と呼ばれ、慶長5(1600) 徳川家康が六郷大橋を架けましたが、元禄元年(1688)の大洪水で流されてしまい、明治に入るまで船渡しとなっていた場所跡です。」


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こちらは多摩川に架かる国道15号線の現在の六郷橋1984年に一部が、その後1997年に完成しました。現在の東海道ウォーカーはこの橋で多摩川を渡ります。


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「「港町十三番地」は、日本コロンビア所属の美空ひばりさんの代表曲で、この地をイメージして作られたといわれています。」
 駅の改札前にあります。ひばりの等身大写真があり、ボタンを押すと曲が流れます。もちろん発車のメロディーもこの曲。でも港町はミナトマチではなくミナトチョウと呼びます。川崎競馬場の最寄駅です。


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川崎大師駅前に到着。表参道を歩いて川崎大師に向かいます。が、ほとんどシャッター通りと化してます。


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⑨川崎大師表参道・仲見世通り
「大山門までの約200mの通り沿いに、大師名物の久寿餅、せき止飴、縁起物のだるまなど色とりどりの名産品を扱う約40の店が軒を連ね、人情味あふれる門前町の情景は、土地の人々のみならず、観光客からも広く親しまれています。江戸末期の「江戸名所図会」には、仲見世通りの様子として「かるやき・千代の飴・翁飴・くず餅・かりんとう・はまぐり・貝類・焼きハゼ・大森細工・白酒・ふぐちょうちん」の店々が描かれています。大師周辺にまだ農家が多かった頃までは大師名物として大森細工(麦わら細工)の土産物屋が多く参詣客の眼を楽しませていました。」
 駅から続く表参道を曲がって仲見世通りに入ると、飴を切るトントンという音が賑やかに聞こえてきます。参道はこのくらい賑わってなきゃね。


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「厄除のお寺として全国にその名が知られ、毎年正月三が日には300万人以上の参詣者が訪れ賑わいます。川崎大師の御本尊は厄除弘法大師。古くから地域の人々の信仰を集めていたお寺でありましたが、江戸時代、厄除の霊験があるとして諸国にその名が広まり、文化10(1813)11代将軍徳川家斉公式参拝したことにより一層厚く信仰されるようになりました。」
 この日は七五三の家族連れて賑わっていました。


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薬師殿(川崎大師)
駐車場のほうへ回ると突然インド風のお寺が現れた。薬師如来を祀ってある薬師殿です。こんなところがあるとは知らなかったぁ。開創880年の記念事業として平成20(2008)開設されました。境内をじっくり回るといろんな発見があります。


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久寿餅(住吉)
駅ハイマップ提示特典で久寿餅が半額で食べられました。きな粉と黒蜜がたっぷりかかっています。半額じゃなくても食べたい美味しさです。


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大師公園を抜けていきます。


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瀋秀園
1987年、中国瀋陽市ごの友好都市提携5周年を記念して造られました。大師公園の奥にある入園無料の小さな公園ですが、見ごたえがあります。


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⑪中島八幡神社
「中島は多摩川下流の堆積地層の中洲が小島になった地域で、江戸時代以前頃までは、戸数わずか十三戸あまりの村落でした。この中島神社は古来より中島村のじんじゅとして人々の崇敬の中心にあった神社です。」


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富士見公園イチョウは見ごろをむかえていました。


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市役所前のイチョウ並木はきれいな円錐形。


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景行天皇との縁を伝える川崎の古社で、江戸時代までは「河崎山王社」と呼ばれ、東海道川崎宿の鎮守で、そのお祭りは「東の祇園」と称され現在も大変賑わいます。」


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大銀杏(稲毛神社
東海道を往来する旅人からも川崎宿のシンボルとして親しまれた樹齢1000年を超えるといわれる銀杏の木。木の周りに十二支が配置してあり、自分と干支から願い事をかなえながらまわると叶うと云われています。


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天地睨みの狛犬稲毛神社
狛犬って向かい合っているものだとばかり思っていました。右の狛犬は普通にお座りしていますが、左の狛犬は下を向いています。右が天を祓い、左が地を祓うという意味が込められています。


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六郷橋の親柱
稲毛公園にある親柱。大正14(1925)に架けられた橋の親柱。現在の橋に架け替えられた後ここに移設されました。


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公園内では菊花展も行われていました。秋ですね~。もう10分程歩けばゴールの川崎駅です。


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川崎駅まで戻ってきました。西口にラゾーナができてすっかりおしゃれな駅になっています。川崎は競馬場や競輪場がすぐ近くにあるし、大人の店も多くて、あまりいいイメージは無いのですが、川崎大師が近くにあって、東海道の宿場で昔から遊女も多いから、歴史を考えるとしょうがないのかもね。最近は工場夜景やハロウィーンパレードがすっかり有名になって、イメージアップを図っているようだけど、雑多で猥雑な街というのも一つの魅力だと思います。