岩村城下町 重要伝統的建造物群保存地区に選定された歴史の町並みが続きます
夏休み、あまりに暑いので街道歩きはお預け。毎度のことながら、なかなか行き先が決まらない。ダメもとであたってみたら、ちょうどキャンセルが出たようで、「快速なから」のチケットをゲット。さて、お城めぐりなら少しはいいかしらと出かけたものの・・・やっぱり暑すぎです!お城については書いたので、忘れないうちにそれ以外を書いておきます
1日目
(8/8横浜駅) → 8/9 岩村駅→ 岩村城下町 岩村城 → 名古屋城 → 名古屋(泊)
明智鉄道
久しぶりの「ながら」ちょっと疲れたけど、朝早くの到着は魅力です。名古屋で降りて中央線で恵那駅へ。明智鉄道に乗り換えます。1両の可愛らしい列車です。8/9は明智駅でSLが走るとか。ちょっと行ってみたいけど、今日は岩村駅で下車。静かな城下町を抜けて岩村城へ向かいます
岩村城下町
手作りサンドセット(豆カフェ)
城下町を抜けて駅に戻ります。途中でちょっと早いお昼ご飯。岩村城へ行った話をしたら、苗木城をおススメされました。車じゃないと不便そうだったので今回は行かなかったけど、行ってみたいなぁ
岩村は重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている城下町です。江戸時代からの建物がいくつか残されていて見学もできます。お土産に買ったカステラも昔から変わらない製法で素朴なおいしさ。五平餅も美味しかった。城下町があると聞いてはいたものの、こんなに良いとは!人の温かみが感じられるとてもいい町でした。農村景観日本一の風景もあるそうなのでまた訪れたいと思います
市内のホテルにチェックインをしたら夕ご飯を食べに出かけます。普段はもっと薄味のものを食べるけど、今日はいっぱい汗をかいたから濃いめでも大丈夫・・・のはず
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2日目
岐阜駅に聳えたつ信長公
翌日は名古屋からJRで岐阜駅に移動。これ見ておきたかったんだぁ。ここからバスに乗って岐阜公園に向かいます
大仏殿
大仏
骨格は木材で外部は竹材で編み粘土を塗り、一切経、阿弥陀経、法華経、観音経などを張り、漆を施し金箔を置いた日本一の乾漆仏です。像高13.7m。大仏殿の中で窮屈そうにも見えます。鎌倉の大仏(11.3m)よりも大きいんだ。ちなみに奈良の大仏は14・98m
さすが、信長公のお膝元
有楽苑
有楽斎(1547-1621)が建てた茶室が保存されています。有楽斎とは、織田信秀の11男で、信長の13歳年下の弟、織田信益。何となく飄飄としたイメージがあるのだけど、戦国の世、本能寺や大阪の陣などにかかわって、江戸時代まで生き残って天寿を全うしたんだからすごいよね。ちょっと興味曳かれる人生であります。
有楽苑はいくつかの茶室や書院がある日本庭園です。犬山城へ行くついでにと寄ったのですが、すごく静かな時間が流れていてとても気持ちのいいところでした
如庵(国宝)
有楽が晩年を過ごした京都建仁寺の境内に、元和4年(1618)頃建てられた茶室で、各地を転々とした後に移築されました。三角形の鱗板や暦張り、有楽窓などが見どころ
釜山海
元庵
有楽斎が大阪・天満に構えた茶室を復元
針鋼神社
どて丼(どて万次郎)
金華山でおにぎりを食べたけど、お腹がすいてきたので、城下町でちょっとおやつ代わりにいただきました。どて=赤みそで煮込んだ牛スジ肉
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3日目
電話ボックスも岡崎城。そういえば電話ボックス自体が珍しくなったよねぇ
城内の案内ならお任せあれの「グレート家康公葵武将隊」
この日は、家康公と大久保忠勝が見参
田楽定食
カクキューでお昼ご飯。メニューに写真がなかったけど、勝手に串に刺した田楽を想像して注文。この暑い中、これはちょっと予想外・・・・
ビスタライン
岡崎城見えるかな? 今もこのライン上には高い建物は建てられません
松平八代・家康公墓地
元和元年(1615)徳川家康公は先祖松平八代廟所を寺内に建立
また、境内にある位牌堂には松平家徳川家の位牌があります。位牌の高さは将軍の身長に合わせてあると云われているので興味深いです。ただ現在の位牌は安政の火災で焼失したので当時のものではなく、家康の13周忌にあたる寛永5年(1628)に尾張藩主義直が調進したものです。
真夏の東海地方は暑すぎて予想以上に体力を消費してしまい、予定していたお城をまわれませんでしたが、満足のいく旅になりました。その場所に立ち、眺めると歴史の中の出来事が、すごく身近に感じられて、改めてこの地方は戦国の舞台だったんだと思わされました。