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まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【日本100名城 その7】   21  江戸城

21 江戸城 (東京都千代田区)  別名:千代田城
 
 
 
 
イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平城
 
 ・築城      長禄元年(1457) 太田道灌
慶長11年(1606) 徳川家康
元和8年(1622) 徳川秀忠
寛永14年(1637) 徳川家光
 
                                     ・主要城主 太田氏、後北条氏、徳川氏
 
                                                      (登城日: 20141101日)
 
 
 
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二重橋と伏見櫓
 
 
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巽櫓
 
 
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大手門
残念ながら修理中
 
 
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同心番所
 
 
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百人番所
 
 
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中之門跡
とにかく江戸城で一番すごいと思ったのが石垣。大きな成形した石を隙間なく積んでいる石垣はとにかく見事!
 
 
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番所
 
 
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石垣
 
 
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本丸跡
写真下は大奥のあったところ 
 
 
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石室
何に使われていたのかよくわかっていないんだって。
 
 
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富士見櫓
城内最古の建物です。
 
 
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江戸城天守閣があったのは最初の50年間だけ。家康は白亜の眩いばかりの天守閣を建て、秀忠、家光と建て替えられて家光の時代には日本最大の大天守閣がそびえていたといいますが、明暦の大火(1657)で焼失。家綱が再建を計画したものの保科正之が財政難と必要性がないと反対し以後再建されていません。それにしてもこの石垣の立派なこと。天守閣も見ごたえ十分だったのでしょうね。
 
 
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汐見坂
 
 
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北桔梗門
 
 
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北桔梗門 外堀石垣
ここの石垣が一番高いそう
 
 
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平川門
鬼門にあるこの門は不浄門と呼ばれ死者はここから運び出されていたそうです。
 
 
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二の丸庭園
小堀遠州の作といわれる庭園を九代将軍家重の時代の絵図をもとに復元されました。
 
 
江戸城は室町中期の関東官領家扇谷上杉氏の家臣太田道灌により長禄元年(1457)に築城されました。以降上杉、後北条氏などを経て小田原征伐後、秀吉により領地替えとなった徳川家康が入城。大改築を行い、将軍家光の時代に完成しました。1868年の無血開城、明治時代以皇居となりました。
 
江戸城というよりも現在では皇居といったほうがすっかりお馴染み。皇居東地区の旧江戸城本丸、二の丸及び三の丸の一部が皇居東御苑として一般に公開されています。
雨だというのに外国の観光客もたくさんいました。外周を走るだけじゃもったいない。ぜひゆっくりと東御苑の中まで入園して散策してほしい場所です。一周すると結構歩くけどね。
今日はハイキングの途中で寄ったので、楠公像前の休憩所に寄り百名城スタンプを押して、皇居前広場から桜田門を遠くに見て、二重橋、巽櫓を経て、修理中の大手門を抜け入園票を受け取り東御苑に入園。大手休憩所でガイドマップをもらって、同心番所から百人番所、中之門跡をへて、富士見櫓、本丸、天守台から北桔橋門をでて北の丸公園から皇居外周を巡り、平川門からまた入って二の丸を見てきました。出入門は大手門、北桔橋門、平川門の計3つ。どこからでも出入り自由です。
 
百名城スタンプは楠公休憩所、和田倉休憩所(工事中のため2015331日まで休館予定)、北の丸休憩所でもらえます。東御苑の中にはないのです。
 
 
*本文はあっていましたが、タイトルの番号を思いっきり間違えたままでした。
本日、訂正。江戸城は21番です。