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【日本100名城 その24】  58 明石城

58 明石城 (兵庫県明石市)  別名:喜春城


イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平山城
 
 ・築城     元和5年(1619) 小笠原忠真
 
 ・主要城主 小笠原氏、松平(戸田)氏、大久保氏、
     松平(藤井)氏、本多氏、松平(越前)
  
 
(登城日: 2016312日)


 
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 西国諸大名に対する監視と備えのため、二代将軍徳川秀忠が、元和三年に松本城から国替えとなった小笠原忠真に築城を命じました。元和元年の一国一城令により廃城となった付近の城の用材を用いて元和五年から一年間で築城。本丸に御殿を築き、四隅に三重の櫓を配しましたが、天守台は築かれたもの天守閣は建てられませんでした。4基あった三重櫓のうち2基が修復されながらも現存しています。そのうちの坤櫓は伏見城から移築されたものといわれています。



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大手門


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大手門 堀


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坤櫓と巽櫓


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大手門から二の丸に続く石垣


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二の丸


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本丸


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天守閣跡


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巽櫓
南東端に築かれた三層の櫓で、桁行5間(9.09m)、梁間4間(7.27m)、高さ7間1寸(12.19m)の隅櫓で、妻部を東西に置く入母屋造りになっています。


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展望台から


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展望台から
大手門、明石駅


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展望台から
坤櫓


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坤櫓
天守閣が作られなかった明石城では最大規模の櫓で、天守台のすぐ南にあり、天守閣に変わる役割を果たしたとみられます。桁行6間(10.9m)、梁間5間(9.09m)、高さ7間2尺9寸(13.6m)の入母屋造りで、妻部を南北に向け、棟の方向が巽櫓とまったく異なっています。二重破風の豪華な造りで、伏見城から移築されたといわれています。


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坤櫓内部
明石城2基の櫓は交代で内部が公開されています。3月は坤櫓。こちらのほうが大きくて見事です。そして、なんと!無料!内部では担当者が明石城の説明をしてくれます。明治の廃城令や阪神淡路大震災を経て守られてきた櫓の話を聞いていると、明石の人にとってこの明石城は本当に大事なものなのだなぁ~と、伝わってきます。公開されていない月もあるようなので調べてから行くといいかも。


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坤櫓内から見る巽櫓


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東の丸


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明石城武蔵の庭園
文献では剣豪宮本武蔵明石城の樹木屋敷を設定したといわれています。


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桜堀


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山里郛
現在の陸上競技場付近にあった山里廓は、もとは樹林屋敷といわれ、城主の遊興所がありました。


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明石駅から見える櫓と鯛のコラボ
何だかシュール



 明治の廃城令により2基の櫓は解体されてしまったものの、旧藩士らの嘆願により残る2基の櫓を現状保存し城址は公園となりました。平成7年(1995)阪神淡路大震災では大きな被害を受けてしまいました。櫓は建物が傾いたにも関わらず健全でしたが、石垣は破損や歪みが見られたため安全のため積みなおすことになりました。城郭建造物では初めての曳屋工法により櫓を移動して修復。また本丸土塀の復元も行われました。
 電車を降りると櫓が目の前に2基ならんでいるのがまず目に飛び込んできます。そして駅をでるとすぐ正面が明石城城址は公園になっていて大勢の人たちが楽しそうに過ごしていました。街に溶け込んで憩いの場になっている気持ちのいい場所でした。