119 杉山城 (埼玉県比企郡)
・城地種類 山城
・築城 不明
・築城者 不明
・主要城主 山内上杉氏
(登城日:2020年11月22日)
杉山城 (馬出)
市野川を挟んで鎌倉街道を見下ろす丘陵に築かれた城です。長享の乱のあと、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗するために築いた城と考えられています。
出郭
中学校側の入口からはいると広々とした出郭に出ます。
大手口
馬出郭口
本来はここに木橋がかかっていました。
外郭
南二の郭
南郭の横堀
本郭から見た南二の郭
本郭から見る東側の切岸
本郭
本郭からは日光連山が見えます。
井戸郭からは秩父の山が見えます。
井戸跡
城内で確認されている井戸跡です。一年中水がしみだしていて春先はサンショウウオの産卵場所となっているそうです。大石で塞がれているのでよくわかりませんでした。
本郭北虎口
北郭土橋
搦め手口へと続きます。
搦め手口
杉山六万坂の石仏群
搦め手口を出た道沿いには庚申塔や石仏が点在しています。江戸時代には杉山村の中で特別な場所になっていたようです。
嵐山町立玉ノ岡中学校
役場から歩いていく場合は、中学校の校門から入れます。道なりに歩いていくと少し下ったところで矢印が出ているので、矢印に沿って歩くと大手門に通じます。
積善寺側 大手入口
帰りは積善寺側に下りてきました。
苦悲(くび)なし地蔵
左下の祠の中にある小さなお地蔵さんです。昔、盗賊にさらわれ首と胴が別々になった姿で見つかった団子屋の娘の供養のために作られたお地蔵さんです。ある晩、お地蔵さんの首を誰かが取り、幾度つけても首だけがない不思議なことが続きました。お参りした人々の「苦労や悲しみがなくなる」ので「苦悲なし地蔵」と呼ばれているということが書かれていました。なんだか不思議は話です。
駅に向かう途中の農道から見た杉山城跡
嵐山町役場
続百名城スタンプは、武蔵嵐山駅から杉山城に向かう途中の丘の上に建つ立派な役場の玄関ロビーに設置されています。休日も押すことが出来ます。トイレも借りられます。
城跡はとてもきれいに整備されています。やたらと横堀が多い感じのお城でした。「横矢掛かり」という虎口や土塁に近づく敵を横から弓矢で射るために設けられた工夫が凝らされていて、弓矢が武器の主流だったころの典型的なつくりだそうで、鉄砲の時代になると少なくなるそうです。
城は、山内上杉氏の拠点鉢形城と扇谷上杉氏の拠点川越城の中間にあり、長享の乱のあと扇谷上杉氏に対抗するために山内上杉氏が築城したといわれています。本郭や南廓からは大量の焼土や炭化物、焼けた痕跡のある土器などが見つかり、大規模な火災により廃城されたと思われますが、どんな戦があったのか詳しいことはわかっていないようです。山内上杉vs扇谷上杉。このころの関東はなんだかめちゃくちゃでよく理解ができていません。一足早い戦国時代を少しずつ勉強しているところですが、一族の争いというのはなんとも面倒くさいものです。っていうか、ほとんどの争いごとは一族の中での権力争いに端を発しているのが多い感じですよねぇ。なんで仲良くできないんでしょうねぇ