125 小机城 (神奈川県横浜市)
☆データ☆ (続日本100名城ガイドブックより)
・城地種類 平山城(丘城)
・築城 15世紀以前(推定) 築城者 不明
・主要城主 笠原氏(城代) 北条氏
(登城日: 2018年4月14日)
小机城
築城時期は定かではないが、文明8年(1476)に始まる長尾景春の乱の中で、小机城の矢野兵庫助が景春勢に属したため、扇谷上杉氏の重臣太田道灌が小机要害を攻撃しており、少なくとも15世紀には南武蔵の軍事拠点であった。その後武蔵野国に進出した小田原北条氏が江戸城を攻略する中で小机一帯も支配下に置き、小机城を再構築していったと考えられる。豊臣英世氏による関東侵攻の中では小机城での合戦はなく、徳川家康の関東入部後に廃城となった。(続100名城ガイドブックより)
築城時期は定かではないが、文明8年(1476)に始まる長尾景春の乱の中で、小机城の矢野兵庫助が景春勢に属したため、扇谷上杉氏の重臣太田道灌が小机要害を攻撃しており、少なくとも15世紀には南武蔵の軍事拠点であった。その後武蔵野国に進出した小田原北条氏が江戸城を攻略する中で小机一帯も支配下に置き、小机城を再構築していったと考えられる。豊臣英世氏による関東侵攻の中では小机城での合戦はなく、徳川家康の関東入部後に廃城となった。(続100名城ガイドブックより)
案内図
大手口になるのかな。 ここを上っていくと根古谷広場に続きます。
根古谷
城の麓にあった城主の館や家臣の屋敷地で、城主は平時には麓に居住し戦闘時には城に詰めて戦いました。
城の麓にあった城主の館や家臣の屋敷地で、城主は平時には麓に居住し戦闘時には城に詰めて戦いました。
郭
東郭と西郭の間にある小さな郭
東郭と西郭の間にある小さな郭
井楼跡(東郭・二の丸)
二の丸広場(東郭)
本丸広場 冠木門(西郭)
本丸広場(西郭)
小机城址碑
冠木門の脇に控えめに建ってます
冠木門の脇に控えめに建ってます
富士仙元
第三京浜で分断された富士仙元には、外に出て第三京浜をくぐっていきます。この碑は廃城になってからできたものかな。曇って木が茂ってるので確認できなかったけど、きっとここから富士山がよく見えるのでしょうね。
第三京浜で分断された富士仙元には、外に出て第三京浜をくぐっていきます。この碑は廃城になってからできたものかな。曇って木が茂ってるので確認できなかったけど、きっとここから富士山がよく見えるのでしょうね。
続100名城はじめました!
100名城もまだ3分の1しかまわれていないのは別の話。まずは近場の小机城から。
その昔、心霊スポットとかいう話を聞いたことはあったけど、続100名城に選ばれるようなお城だとは思っていませんでした。50m程の低山というより丘で、竹林がとてもきれいです。市民の森として整備されているのでスニーカーで気楽に訪れることのできるお城です。空堀や土塁は良く残っています。資料不足のため、本丸や二の丸ははっきりとわかっていなくて、とりあえずそう呼んでいるということでした。茅ヶ崎城址みたいに親切な案内板があるといいな。そして第三京浜がお城を分断しているのはとても残念。でもその頃はそういう時代だったんだよね。甲府城なんて中央線が通っているもの。
続100名城のスタンプは、小机駅すぐの地区センター2階にあります。