マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

茅ヶ崎城址~大塚歳勝土遺跡公園(横浜市都筑区)  2018.04.14(土)

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茅ヶ崎城址(北郭虎口)
空堀」「郭」「土塁」などが旅行な状態で残る貴重な中世城郭遺跡です。早渕川をきたに望む自然の丘を利用して築城されています。茅ヶ崎城は14世紀末から15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えとなります。16世紀中ごろには二重土塁とその間に空堀が設けられました。築城には、それぞれの時期に相模南部蔵を支配した上杉氏や後北条氏が関与していたと推定されます。16世紀末までには、城としての役割は終わります。江戸時代には、徳川氏の領地となり、村の入会地などとして利用され、「城山」という地名とともに、今日まで保存されてきた貴重な歴史遺産なのです。  (茅ヶ崎城址 案内板より)

仲町台駅 → せきれいのみち → 茅ヶ崎公園 → 茅ヶ崎城址公園 → 大塚・歳勝土遺跡公園 → 横浜市歴史博物館センター北駅   約4km

 駅ハイを歩いて腹ごしらえも済ませたので、もうひと歩き。この辺りはとてもよく自然がまもられ、緑の道が公園をつないで、とてもいい散歩道になっています。気になっていた茅ヶ崎城址歴博までお散歩です。

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せきれいのみち
ラーメン屋のすぐ裏手にあるせせらぎ公園から続くせきれいのみち。とても気持ちのいい散歩道です。

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茅ヶ崎公園
プールや自然生態園もある緑豊かな公園です。

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茅ヶ崎中学校と小学校のあいだから、自転車歩行者専用道路を歩いて茅ヶ崎城址に向かいます。

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茅ヶ崎城址公園
1990年から7次にわたり城内全域を対象とする発掘調査が実施され、その後城址公園として整備されました。近くに鎌倉道(中の道)、中原街道、矢倉沢街道が通じる交通の要衝に築かれています。規模は東西330m、南北200m、総面積およそ55,000㎡。

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中郭土橋 (茅ヶ崎城址)
東郭と中郭をつないでいますが、今は通れないので脇の階段を上っていきます。

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東郭虎口(茅ヶ崎城址)
ここを下りたあたりには根小屋と呼ばれる居住地区がありました。この時代、城主は本丸や主郭に居住せず郭の麓に造られた根小屋で生活をしていました。

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東郭 (茅ヶ崎城址)
一番高いところにあり物見台の役割をしていました。ちなみに茅ヶ崎城址の標高は28~35m。最高峰は中郭南西隅の土塁上でおよそ40mです。

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中郭 (茅ヶ崎城址)
倉庫跡とみられる遺構が見つかっています。

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早淵川
鶴見川水系の支流の一級河川で、横浜市青葉区美しが丘西の源流から鶴見川へ合流します。川を渡って遺跡公園・歴博に向かいます。

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「都筑まもる」君
歴史博物館脇交差点の巨大なゴリラ。交通安全のマスコットとして活躍中。なんとこのゴリラ、もとは閉園してしまった「恐竜の森」に何故が恐竜に囲まれ展示されていたそうです。閉園後、都筑交通安全協会に譲渡されたものの幾度の放浪を経て、やっと安住の地にたどりつきました。

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大塚・歳勝土遺跡公園 (横浜歴史博物館 野外施設)
横浜市歴史博物館の野外施設として整備されている遺跡公園。南北を大きな谷に刻まれた複雑な形の標高約50mの台地にあります。弥生時代の遺跡の真上に、当時のムラヤお墓をが復元されています。面積は54,640㎡。1972年の発掘調査で存在が明らかになり、弥生時代の大規模な環濠集落が完全な形で発掘され1986年国の史跡に指定されました。

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環濠・土塁・柵(大塚・歳勝土遺跡公園)
敵から守るため、台地の縁にほぼ地形に沿ってムラを囲むように堀めぐらされた外周600mの環濠、掘った土で作られた土塁の上には木の柵を設けていました。稲作が始まり、人口が増え、ムラができ集団で暮らすようになると、肥沃な土地をめぐる争いが起き・・・。その後、文明が進んでも未だその争いは続いているのでした。いつになったら収まるのだろう・・・・

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高床倉庫 (大塚歳勝土遺跡公園)

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竪穴式住居跡の発掘調査時の姿(大塚・歳勝土遺跡公園)

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方型周溝墓/内部 (大塚・歳勝土遺跡公園)
墓は集落の外につくられていました

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旧長沢家住宅 (都筑民家園/大塚・歳勝土遺跡公園内)
18世紀の中頃~後半に建てられたと云われています。港北ニュータウン整備に伴い、都筑区牛久保村にあった旧家が移築されました。

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竹林 (大塚・歳勝土遺跡公園)
ここの竹林も綺麗です!横浜市北部は竹林が多いのだけど、とても荒れていた時期もあって、地元のボランティアの協力できれいな竹林が復活してきているそうです。

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浜市歴史博物館
1995年に開館した博物館。時代ごとに横浜の歴史がわかりやすく展示されています。野外施設である大塚歳勝土遺跡公園とは屋上でつながっています。
「古代」 埴輪(戸塚区富士山古墳) 古墳自体は削られたり崩れて本来の形はなく、埋葬施設も残っていないそうですが、多数の埴輪が発掘されています。盾持人物埴輪のそれぞれの表情にはどんな思いが込められているんだろう。
「近世」 蛇も蚊も(鶴見区生麦) 蛇も蚊もまつりは、今から300年ほど前、疫病が流行した際、氏神の「すさのうの尊」にあやかり大蛇によって疫病を退散させようと、大蛇に悪霊を閉じ込め海に流したのが始まりといわれています。そういえば新羽にも蛇がいた。あの蛇は門番みたいな役割でしたね。
「近現代」 横濱館(伊勢佐木町) 明治後期、伊勢佐木町にあった勧工場の大型模型。さまざまな商品を扱う商店が、一つの建物の中に集まり、陳列・販売をしたところです。新しい文化を求める人々が集まり、大変にぎわったといわれています。

 茅ヶ崎城というのがあると聞いて初めて行ったみたのですが、こんなにきれいに整備されているとは思いませんでした。案内板もすごくわかりやすくて、城のつくりがよくわかります。小机城よりもずっと親切です。
 歴博と大塚歳勝土遺跡公園は、子供のころに在ったらきっと社会科見学で行ってるよね。弥生時代の遺跡が横浜にあるなんて。それもこんな完全に残っていたなんて知りませんでした。子供の頃に学んだ、弥生時代=農耕というだけでない歴史の流れもいろいろと知ることができて遺跡公園(歴博)はとても楽しかったです。
 横浜市内といっても、この辺りはあまり縁がなくちゃんと歩いたことはありませんでしたが、港北ニュータウンはとてもうまく開発された街だと改めて思いました。保全緑地も多く残り、歩行者専用道が点在する緑地をつないでいます。バブルの一番お金のある時にきちんと計画して整備したのはすごい。住民の意識も高かったんだね。どこかの区も見習ってほしかったよw。まだまだ歩いていない緑地がたくさんあります。地下鉄の駅からも近いし、またゆっくりとお散歩に来たいと思いました。