マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 3日目】 (上尾駅) 5.上尾宿 → 6.桶川宿/駅ハイ → (北本駅)   2016.6.11 (土)

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べに花
キク科ベニバナ属の越年草。高さ約1メートル。葉は堅くてぎざぎざがあり、互生する。夏、アザミに似た頭状花が咲き、鮮黄色から赤色に変わる。花を乾かしたものを紅花(こうか)といい婦人薬とし、また口紅や染料の紅を作り、種子からは食用油をとる。エジプト原産。
桶川宿の繁栄のもとになったべに花は、江戸時代後期、山形からタネと育て方が伝わり「桶川臙脂」の名で全国的に有名になりました。明治時代に化学染料が使われるようになると衰退してしまいましたが、平成に入り「べに花」をシンボルとしてまちづくりが行われるようになりました。

(上尾駅) 5.上尾宿 → 6.桶川宿 →(北本駅)  約8.5km
「駅からハイキング 中山道桶川宿とべに花観賞ハイキング 6/86/17
中山道宿場館/スタート → ①浄念寺 → ②武村旅館 → ③木戸跡() → ④島村家土蔵 → ⑤矢部家住宅 → ⑥桶川宿本陣遺構 → ⑦稲荷神社→ ⑧地域福祉活動センター → ⑨勤労青年ホーム → ⑩べに花畑 → ⑪べに花ふるさと館 → ⑫勤労福祉会館 → ⑬大雲寺 → ⑭中山道宿場館/ゴール 約8km

 先日の終了地点、上尾宿の中ほどにある上尾駅前からスタートです。そして今日は桶川宿で開催中の駅からハイキングにも参加してきました。先週から梅雨入りとなった関東地方。今日は梅雨の晴れ間となりました。いや晴れすぎ。6月とは思えないくらい暑~い!後でみたら気温は30度を超えていた!熱中症にならなくてよかったぁ~。


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遍照院
真言宗智山派日乗山秀善寺遍照院 江戸時代には20石の朱印地を与えられていました。


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延亨2(1745)の建立


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彩の国平成の道標
屋根の上には鍾馗様が鎮座。関東ではあまり見ない気がしますが、京都では屋根の上によく祀られているようです。魔除けや厄除けのために設置する鬼瓦ですが、鬼瓦に跳ね返された邪気が向かいの家に入り込んで悪さをしたということから、大きな鬼瓦の対面に、鬼より強い鍾馗様を祀るようになったということです。京都では、沢山の鍾馗様がにらみ合わないように向きをずらしたり、微笑返しとして「お福さん」を置いたりもするとか。屋根の上にもいろんな物語があるのですね。


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整備された道路です。
でも歩くにはちょっとつまらない道が続きます。


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桶川市に入りました。
歴史を感じる古い建物が見えてきた。ちょっとうれしい。電信柱の辺りに点々と見えるのは鳥たち。カラスを追っ払うためにオナガムクドリが奮闘中。頑張れ。


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東木戸跡
桶川宿の江戸口 ここから桶川宿に入ります。

6 桶川宿
江戸から6番目の桶川宿は、紅花の産地として繁盛し、宿内家数は紅花の商い高とともに増え、寛永12年の戸数は全体で58軒だったものが天保14年には347軒と急増しています。また江戸から41キロの場所にあり旅人の初泊地としてもにぎわいました。中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数347軒、うち本陣1脇本陣2、旅籠36軒、人口1444人、宿長約1km


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武村旅館 国登録有形文化財
宿場当時の旅籠の姿をとどめる貴重な建物です。


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小林家住宅 国登録有形文化財
江戸時代末期に旅籠として建てられました。


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中山道宿場館
桶川駅前の交差点を過ぎて中山道宿場館へとやってきました。ここが駅ハイのスタート。受付をしてマップを貰います。中山道を江戸へ戻るように駅ハイコースを歩き始めます。撮り忘れていたのでこの写真は観光協会のHPから拝借。


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①淨念寺
浄土宗 清水山報恩院淨念寺 室町時代初期に朗海上人が建てた所業の庵をもとに室町時代後期天文15(1546)に團誉桂全壽上人が開創しました。


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②武村住宅 国登録有形文化財
先ほど通り過ぎた武村住宅。今度は中を拝見。皇女和宮中山道を下向した文久元年(1861)には、ここで紙屋半次郎が旅籠を営んでいました。当時の間取りは現在もほぼ引き継がれています。今でも旅館業を続けていて、この建物には泊まれませんが隣接する建物に泊まることができます。


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ここも先ほど通り過ぎた場所。ここで街道をUターン。


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④島村住宅土蔵 国登録有形文化財
天保7年(1836)の建築で、桁行6間、梁間3間の総3階建ての土蔵です。島村家は桶川宿の穀物問屋で、屋根の両端にある鬼板には、屋号の木嶋屋の「木」の字が刻まれています。天保の大飢饉の際、飢餓に苦しむ人々に仕事を与えるため建てられたことから「お助け蔵」と言い伝えられています。この日は特別に午前中の公開でしたが、開館日は毎月第一土曜日午後1時から4時です。中には江戸時代の百科事典やおひな様、長持ちなど貴重な生活用具が展示されています。この日はご当主自ら説明もしてくれました。とても面白いものがいっぱい展示されています。中もぜひ見て欲しい場所です。


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④島村住宅土蔵
修復中の屋根も見学できました。写真よりももっと白くて姫路城のように真っ白できれいです。これを維持していくのは大変ですよね。蔵の2階3階にトタンが貼ってあるのは黒漆喰の壁を保護するためだそうです。


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⑤矢部家住宅
「木半」の屋号で知られた穀物問屋で、 かつて江戸時代に紅花商人としても活躍していました。中山道に面した土蔵造りの「店蔵」とその奥へ続く「住居部」と「文庫蔵」で構成されます。店蔵は矢部家第6代当主矢部五三郎氏によって明治38年に建てられ、川越の土蔵造り商家を多く手掛けた職人たちをはじめ、地元の職人らが名を連ねています。桶川宿で現存する土蔵造りの店蔵はこの一軒のみとなりました。


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烏おどし 矢部家住宅
奥の土蔵の鬼瓦の上から棘状の務な飾りが出ています。鳥よけとも言われる珍しい意匠です。


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⑥桶川本陣
府川家本陣は寛永12(1635)に桶川宿とともに開設されました。府川本陣には紀伊大納言(徳川家)、加賀中納言(前田家)、高須少将(尾張松平家)などに贔屓とされ、皇女和宮が江戸へ下向の際に宿泊し大規模な改修が行われました。門をくぐりアジサイの道を通り抜けると本陣の建物が残っています。個人宅のため普段は公開をしていなくて、本陣の写真撮影も禁止されていました。


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⑦稲荷神社
紅花商人24人が寄進した2基の石灯籠があります。先ほど訪れた矢部家の名前もあります。また、境内には重さ日本一といわれる力石・大磐石(長さ1.25m、幅0.76m、重さ610kg)があります。「嘉永五年二月岩槻 三ノ宮卯之助持之」との銘があり、江戸の力持ち・三ノ宮卯之助(地元・岩槻の生まれ。力持ち芸で名を馳せた)が、嘉永5年(1852年)に持ち上げたことを伝えています。と言っても案内板の絵をみると一人で持ち上げたわけではなさそうです。チェックポイントのスタンプは大磐石。
ここからべに花ふるさと館までは3キロ近く。途中の⑧地域福祉活動センター・⑨勤労青年ホームでは給水所が設けられていて冷たい麦茶で一息。


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途中の田んぼにはオタマジャクシ。足が生えてきたぞ


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べに花ふるさと館に向かう途中の歩道にはアジサイがきれい咲いています。


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⑩べに花畑
べに花ふるさと館近くのべに花畑です。見頃にはちょっと早いかなぁ。来週末(6/1819)に行われるべに花まつりは線路の反対側、桶川市農業センター周辺がメイン会場です。


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⑪べに花ふるさと館
寄贈された明治時代に作られた家屋と長屋門を改装しべに花ふるさと館が作られました。当日はお祭りが開催中。フリーマーケットやフラダンスやミニコンサートなどのステージがあったりとにぎやかでした。


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お祭りで買ったべに花おこわが今日のお昼。母屋では手打ちのうどんも食べられるそう。
ここから次の大雲寺までは2キロ以上もある。途中の⑫勤労福祉会館は給水所。炎天下の舗装道路を歩いてきた身に冷たい麦茶はうれしいおもてなし。


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⑬大雲寺
龍谷山大雲寺 曹洞宗 弘治3(1557)の開山と伝えられています。ガイドさんが「女郎買い地蔵」のお話しをおしえてくれました。「夜な夜な若い修行僧が夜遊びをしているという噂がお寺に届きました。住職は必ず見つけ出して仕置きをすると約束。調べてみると3体のうちの一番右側のお地蔵さんが修行僧に化けて夜遊びをしていたので、鎹を打ち鎖で縛りつけたところ夜遊びする修行僧はいなくなりました。」というお話し。まぁお地蔵さんが出歩くわけはなく、若い僧の罪を被ってもらう代わりに心を入れ替えて精進するように、と諭したのだろうといわれています。お地蔵さんの背には今も鎹が残っています。


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中山道手洗い処
大雲寺から中山道を下ってゴールの中山道宿場館へ。途中の案内板や手洗い処も宿場風。ゴールの記念品はべに花の絵ハガキでした。それにしても暑かった~。炎天下、道案内や給水所にずっと立って案内してくれたガイドさんやボランティアさんに感謝です。冷房の効いた宿場館で一息ついたら、またこの案内板の前を通って次の宿場を目指します。


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一里塚跡
さっき大雲寺に行くのに渡った歩道橋の下が一里塚跡でした。塚の上には杉が植えられ根元には石の妙見菩薩が祀られていましたが、明治9年(1876)取り壊されました。この先に京方の木戸跡があったはずですが、道の反対側だったようで見逃してしまいました。


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中山道北本宿碑
途中コンビニで涼を取りながら、炎天下の舗装道路を3.5キロ程歩いて北本宿碑までやってきました。慶長9(1604)宿駅が鴻巣に移転するまでは宿場であり、以降は本宿と呼ばれ立場となり間の宿として賑わいました。この先800m程で北本駅前に到着。時間はまだ2時ですが、北本駅で終了です。暑くてこれ以上歩いたら熱中症になってしまう。と思うくらい暑いのは確かですが、それだけじゃないんです。今日は北本にお住いの素敵なご夫婦にお呼ばれをしているのです。
 
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☆ おまけ ☆
お呼ばれして、おすすめの場所を案内していただきました。


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長島記念館(熊谷市
埼玉銀行(後のあさひ銀行)頭取・会長を務めた長島恭助氏の生家を利用した記念館。季節の花々が楽しめる素敵なお庭や美術品、昭和の懐かしい暮らしの道具などに囲まれて、のんびりゆったりとできる静かな場所です。


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岩殿山安楽寺吉見観音(比企郡吉見町)
坂東三十三観音霊場の十一番札所。坂上田村麻呂が奥州征伐のときに戦勝を祈願して、七堂伽藍を建立し、関東の観音信仰の端緒を拓いたと伝えられています。平治の乱(1159)で助命された源頼朝の弟、源範頼安楽寺で稚児僧として過ごし、領主となってからはその恩に報いるため領地の半分を寄進し三重の塔や大講堂を建立しました。


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吉見百穴比企郡吉見町)
今から約1300年前の古墳時代末期の横穴墓群。現在確認できる穴は219基。すごい数です。中に入ることができる大きな穴もありますが、内はちょっと違う空気が・・・すぐに出てきてしまいました。構内の巨大な洞窟は、昭和20年ごろに地下軍需工場用として左右約500mに亘り掘られたもので一部が通行できます。ここは「埼玉県クールスポット100選」に選ばれています。そしておすすめは味噌田楽。とても美味しかったぁ。ぜひご賞味あれ。

 色々と案内をしていただいたうえに晩御飯も御馳走になって、北本名物のトマト(甘くて味が濃くてとても美味!)に、美味しい生みたて卵までお土産にいただいたとても素敵な一日でした。ありがたいことです。埼玉って観光地は秩父くらいしかないのかと思っていましたが、いいやいや奥が深い。埼玉再発見の一日でした。