マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【日光道中(日光街道)】6.中田宿~古賀宿~野木宿~(間々田駅)  2015.6.7 (日)

利根川/房川渡 → 中田宿 → 古賀宿 → 野木宿 → 間々田駅  約15,5km



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利根川を渡ります。
橋の途中から茨城県へと入ります。橋を渡り終えたすぐ左の道を下りていきます


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中田関所跡 房川渡
利根川を渡った先が8番目の中田宿。橋を渡り終えたすぐ左の道を下りていくと関所跡の案内板が立っています。利根川を挟んで栗橋宿と中田宿は合宿として業務を行っていました


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関所のところにもあった小さな箱。気になって開けてみたらスタンプが入っていました。この先あちこちで見かけます。スタンプラリーのように押していくのも楽しいかも


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鶴峯八幡宮
源頼朝が創建させたといわれています。奥にはゲートボール場もあってトイレもあります


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利根川土手からまっすぐ2キロ程歩き歩道橋で東北本線を渡ったら、中田宿ともお別れです


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線路を渡った先のうどん屋さん(俵屋)でお昼ご飯。そういえば中川を渡ってからここまで、コンビニや一休みできそうなお店はほとんどなかったなぁ


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中田の松原
「左右に松並木が続き、道は広く、東海道にもこのように、まっすぐで、平らで、きれいなところはない」と記されたほど、一里余りも続く立派な松並木があったそうです


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茶屋松原
日本橋から17里。日光まで20里。と書かれた案内板


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原町一里塚
茶屋松原から2キロ程歩いた古河第二高校脇にある16番目の一里塚。・・・・何で茶屋松原の案内板に17里って書いてあったんだ??


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古賀宿江戸口
9番目の宿場、古河は、鎌倉時代源頼朝の家臣、下河辺氏が幕府の北の守りとして初めて城を築きました。室町時代の康正元年(1455)、足利正氏の代に室町幕府と対抗し下総古河に移り、古河公方として五代にわたり130年余を統治しました。江戸時代、古河城は徳川将軍の日光参拝の宿泊場所になり、日光道中の宿場町として発展しました。こんなに立派な入口は日光街道に入って初めてです


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古河城御茶屋
将軍が日光参拝の時ここにあった門を通り御成り道を経て古河城へ入りました。明治に入り古河城は壊され、大正年間の渡良瀬川改修工事でほとんど跡形もなく河川敷に取り込まれてしまいました


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通りのあちこちにあるこの旗。古河のマスコットキャラクター「桃香」 桃香は最後の古河公方足利義氏の娘足利姫がモデル。義氏に男子がいなかったため5古河公方となり17歳で結婚するまで関東武士の棟梁となりました。日本の歴史史上、少女が武士のトップになったのは彼女以外にはいません。キャラクター設定では157433日生まれ。幼名「桃」明るく社交的で少しおてんば。だそう


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日光街道筑波道の分れ道にある常夜燈形式の道標。日光街道はここで右に折れていったん県道を外れ「よこまち柳通り」を進みます


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道なりに県道に合流したところに常夜燈。古賀宿ともお別れです。古賀宿は宿場町であると同時に古くからの城下町。見どころもいっぱいありそうです。ゆっくり歩いてみたいと思う街でした


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野木の交差点で国道4号線と合流。この後は延々と国道沿いを歩いていくことになります。この少し手前で茨城県から栃木県に入りました。今はきれいなお花が植えられていますが、江戸時代はこの辺りも松並木が続いていたそうです


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64キロポストを過ぎてすぐの曲り角辺りが、10番目の宿場、野木宿の入口。古河宿と比べてなんてつつましい看板。ここは宿場間がすごく近いですね


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十七番目の一里塚


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道標
大平山神社道との追分


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ここが1,2キロ程続いた野木宿の出口。観音堂には「十九夜」の碑。歩いている途中でちょこちょこ見かけて気になっていました。十九夜講というのは、月待信仰の講中の一つで、毎月19日に女性たちが集まり、如意輪観音をまつって子宝や安産を祈願するものらしい


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この後は延々と国道わきを歩いていきます
 

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所々に立派な長屋門を見かけます


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将軍が江戸を出発して三日目に古河城を出発した後、将軍御休所として小休止をした場所であったといわれています。境内には樹齢約550年という立派なケヤキの木があります


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看板が見つからなかったけど、69キロポストの脇にある祠がたぶん18番目の乙女一里塚


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ハナアオイがきれい


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宝永6(1709)に鋳造された大日如来坐像があります


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70キロポスト。単調な国道歩きのなか、このポストがモチベーションを保ってくれています


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乙女八幡宮
元禄16(1703)に建立された鳥居が建立当初のまま残っています


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間々田駅入口の交差点で今日は終了。右に曲がって、間々田駅から帰宅です
 
 
午前中はアジサイを眺めたり、川沿いをのんびりとハイキング気分で歩けましたが、後半は炎天下の幹線道路脇を延々と歩くことに。単調だけど街道の面影を見つけたり、距離ポストに励まされながら歩きました。日影がないからお天気がいい日は熱中症にも注意しないとね。梅雨にも入りこれからは雨も心配。河川改修が進んだとはいえ、昨今の集中豪雨は半端じゃないからね。また次回も無事に歩けますように☆