週末はお天気がよさそうなので東海道歩きに出発!
前回の最終地、三島/時の鐘の三島広小路駅前から歩き始めます。
時計は9時をすぎたところ。
時計は9時をすぎたところ。
お日様も出ていて雨の降る心配も無いのに、富士山の辺りには雲がいっぱい!
富士山の姿が全然見えません・・・
今日の楽しみは富士山!! だって言うのにねぇ
富士山の姿が全然見えません・・・
今日の楽しみは富士山!! だって言うのにねぇ
常夜灯
千貫樋を過ぎたところに名主をはじめ村人が弘化三年(1846)に建立した石灯籠です。とてもきれいな常夜灯です。
千貫樋を過ぎたところに名主をはじめ村人が弘化三年(1846)に建立した石灯籠です。とてもきれいな常夜灯です。
伏見一里塚(宝池寺)
伏見一里塚(玉井寺)
宝池寺と玉井寺で対になっています。玉井寺の一里塚は当時のままの姿ですが、宝池寺の一里塚は昭和60年に原寸通りに復元されています。
黄瀬川橋
現在工事中。車両は通行止め。歩行者は仮の橋を渡ります。
相変わらず雲は厚くかかったまま。富士山は見えません。
相変わらず雲は厚くかかったまま。富士山は見えません。
玉砥石
きれいに残っている傍示杭を過ぎると沼津藩領に入ります。
平作地蔵(日本三大敵討のひとつ「伊賀越道中双六」に登場する沼津の平作ゆかりの地蔵尊)を過ぎて、一里塚跡の公園には古墳時代に玉類を磨くために作られた玉砥石があります。
平作地蔵(日本三大敵討のひとつ「伊賀越道中双六」に登場する沼津の平作ゆかりの地蔵尊)を過ぎて、一里塚跡の公園には古墳時代に玉類を磨くために作られた玉砥石があります。
実は沼津が城下町だったってことを知りませんでした。私の中のイメージは東名沼津ICから伊豆西海岸への入口、干物やお鮨、御用邸くらいかな。
武田勝頼が築城した三牧橋城が廃城後、安永6年(1777)沼津藩主となった水野忠成により沼津城が築城され、明治に入り沼津兵学校として4年間使われた後、解体され開発とともに城郭はなくなりました。街中にあまり面影も残ってません。
川廓通り、本陣跡を過ぎ163号線へと入ります。
武田勝頼が築城した三牧橋城が廃城後、安永6年(1777)沼津藩主となった水野忠成により沼津城が築城され、明治に入り沼津兵学校として4年間使われた後、解体され開発とともに城郭はなくなりました。街中にあまり面影も残ってません。
川廓通り、本陣跡を過ぎ163号線へと入ります。
千本松原
西間門で東海道と千本街道が平行するように分かれます。千本松原へも出てみました。約10km、30万本以上の松が防風、防潮のために植えられています。海岸まで出ると駿河湾がとてもきれい。防波堤の上は遊歩道になっていてジョギングのランナーがいっぱい。
原から吉原にかけては富士がとてもよく見えるはず!
なのにねぇ・・・・こんなに晴れているのに何故富士山は雲の中なんだぁ!
なんて思っていうときにお地蔵さんがちょこんと座っていると
なんだかホッとします。
なのにねぇ・・・・こんなに晴れているのに何故富士山は雲の中なんだぁ!
なんて思っていうときにお地蔵さんがちょこんと座っていると
なんだかホッとします。
松陰寺
河合橋を過ぎ139号を渡ったところをまっすぐ歩いていきます。
まっすぐな工業団地の中の道?
いやー違うだろ・・・違うよねぇ・・・
と思いつつもあまり詳しい地図じゃなくて自信が持てない・・・
大きな道と交差。角のコンビニで道路地図を確認。高尾奈
やっぱり間違っていました。
とりあえず間違ったところまで戻る。道標を確認してから曲がらないとダメだね。
富士山も見えないし、富士までまだまだあるし、疲れたし、この先富士川の辺りは道が迷いやすいって東海道を歩いている人のブログにも書いてあったし。
で、結局吉原駅まで戻ってJRで富士駅まで行って今日の行程は終了。
まっすぐな工業団地の中の道?
いやー違うだろ・・・違うよねぇ・・・
と思いつつもあまり詳しい地図じゃなくて自信が持てない・・・
大きな道と交差。角のコンビニで道路地図を確認。高尾奈
やっぱり間違っていました。
とりあえず間違ったところまで戻る。道標を確認してから曲がらないとダメだね。
富士山も見えないし、富士までまだまだあるし、疲れたし、この先富士川の辺りは道が迷いやすいって東海道を歩いている人のブログにも書いてあったし。
で、結局吉原駅まで戻ってJRで富士駅まで行って今日の行程は終了。
道も間違えたけど頑張ったじゃん!
というわけで
というわけで
歩行距離:約24キロ