旧燈明時三重塔(外苑/重要文化財)
現在は廃寺となっている京都・木津川市の燈明時から移された室町時代の塔で、関東地方にある木造の塔では最古のものになります。
三渓園は、製糸・生糸貿易で財を成した原三渓(原富太郎)が造った日本庭園です。素敵な建物がたくさんあります。茶の湯をたしなんでいた三渓らしい茶室もたくさんありますが、取り壊されてしまったかもしれない歴史的建物も私費で移築していて、昔の財界人の文化に対する姿勢はすばらしいと思わされます。
鶴翔閣(外苑)
こちらは原三渓が住んでいたお宅。延床面積は約290坪もあります。
御門
江戸時代(1705頃)の建築 京都平安神宮近くにあった西方寺の薬医門。三渓一般公開されていた外苑とプライベートに使われていた内苑を分けていました。奥に見える臨春閣はただいま修理中でした。臨春閣は紀州徳川家初代藩主が建てた別荘。今年の冬には修理が終わりそうなのでまた来ましょう。
旧天瑞寺寿塔覆堂(内苑/重要文化財)
天正19年(1591) 豊臣秀吉が京都・大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔を治めるための覆堂です。見事な彫刻です。
京都・二条城内にあったといわれる、徳川家光、春日局ゆかりの楼閣建築です。
松風閣(展望台)
展望台のある場所には、原善三郎が築いた松風閣という別荘がありました。しかし大正12年(1923)の関東大震災で失われてしまいました。今は埋め立て地となってしまいましたが、お天気が良ければこの方向に富士山が見えます。
旧燈明時三重塔(外苑/重要文化財)
現在は廃寺となっている京都・木津川市の燈明時から移された室町時代の塔で、関東地方にある木造の塔では最古のものになります。
江戸時代はじめの寺院建築で、鎌倉・東慶寺の仏殿です。明治時代に建物の維持が困難となり三渓園に移されました。
旧矢箆原家住宅 合掌造り(外苑/重要文化財)
江戸時代後期の建築で、飛騨・白川郷にあった建物です。
旧矢箆原家住宅は、唯一内部の見学ができます。とても豪勢なつくりです。
旧燈明寺本堂(外苑/重要文化財)
三重塔と同じ京都・燈明時から移築されたものです。
園内には、いろいろな花が咲いていました。
ボタンクサギ
あざみ
萩
蓮
生き物もたくさんいます。
日向ぼっこの亀 アカミミガメだねぇ
大池にはカルガモの船頭さん
三渓園正門
朝はバスで来たけど、帰りは山手駅まで歩いてみることにします。
亀の子石
三渓園からすぐの鳥居奥にある大石は、漁師の網にかかった大亀がそのまま石に化したとか。いつの頃からか喉を守る神様になったそうです。
本牧神社
お馬流しというお祭りの日でしたが、今年はコロナウイルス感染防止のため、お囃子や出店などは一切なく、神職や総代のみで行われているそうです。おみくじを引いてみました。「末吉」いいことも悪いこともあるという、まぁそうだろうなぁというご神託でした。
神社から階段を上ると山頂公園。奥にベイブリッジも見え、とても見晴らしがいいところです。ここは米軍の将校や士官のための高級住宅街だったそうです。公園を抜けて山手駅に向かいます。
名前が気になり、三渓園近くのパン屋さんで買ってきた「ラムネあんぱん」。公園のベンチでいただきます。見た目も味もラムネです。
オミナエシがもう咲いていました。奥には萩も見えます。梅雨が明けたばかりでもう秋の七草かぁ。
本牧に来たのは本当に久しぶり。高校生のころまでは、夏になるとよく本牧プールに通っていたっけ。プールは老朽化して閉鎖されていました。マイカル本牧ができたころは車で買い物に来ていたけど、こちらもいつの間にかバブルがはじけて破綻。知っていたころの本牧とはだいぶ変わっていたけど、本牧山頂公園を抜け、YC&ACの脇から坂を下り山手駅まで歩くコースはとても気に入りました。それにしても暑かった。朝は雨だったとは思えないくらい。でもこれはほんの序の口だったのです! この記事を書いている現在、予想最高気温は横浜で35℃! 梅雨明けしてからの関東は、びっくりするような猛暑が続いていて、最高気温が35~40℃なんて普通になっています。おまけに今年はマスクが必須・・・。猛暑はしばらく我慢すればいいけど、コロナウイルスはいつまで猛威を奮っているんだろう。旅行にも行けないので、お盆休みに入ったものの外に出る気力もなくエアコンの効いた部屋でゴロゴロ。やっと先日の続きを書いたのでした。