錦江湾に浮かぶ鹿児島のシンボル・桜島は、高さ1,117km(北岳・御岳)、面積約80k㎡、周囲約52km。北岳・南岳の2つの主峰からなる複合火山です。約26,000年前に誕生し、17回の大噴火を繰り返してきました。1914年の大正大噴火で流れ出た溶岩によって海峡が埋め立てられ、大隅半島の一部となりました。現在も毎日のように小規模な噴火を繰り返しています。(みんなの桜島HPより)
朝寝坊をしてしまったため、ちょっと予定がグダグダになってしまいました。仙巌園を一番先に行っておけばよかったかなぁ。最初は迷っていた桜島。行ってよかった。噴火活動も収まっていたので、穏やかな顔を見せてくれました。活火山と共生する鹿児島。すごいなぁ。
ザビエル公園
1911年、ザビエル渡来を記念して県内初の石造りの教会が建てられましたが、焼失してしまったため焼け残った教会の石壁を利用して記念碑が作られました。
境内で出会ったネコちゃん。とっても人懐こくってかわいい。
神社沿いに歩き城山に登ります。山頂からは桜島がよく見えます。
黎明館内の民族展示品
何だか不思議なものがいっぱい。
昨日貰ったパンフレットに載っていて気になっていた桜島フェリーの「よりみちクルーズ船」。歩いて行っても間に合いそうなので乗ることにしました。途中の道端でみつけた灰置き場。鹿児島ならではだね。
よりみちクルーズ船
鹿児島港から桜島港まで通常15分で着くところを約50分かけて渡ります。左手を行くのは定期便のフェリー
寒くたってやっぱり展望デッキ。桜島が目の前に見えます。イルカ見えたらいいなぁ~
後ろを振り返れば、さっき歩いた城山が見えます。
沖小島と神瀬
桜島大正溶岩沖
溶岩なぎさ遊歩道
フェリーを降りたら、日本の遊歩百選にも選ばれている約3キロの遊歩道を歩いて烏島展望所を目指します。ここは大正時代に噴火した溶岩の上にできた遊歩道で、何もない溶岩原から森へと代わっていく様子が観察できます。日々変わっていくのでこの風景は今だけのもの。途中にはベンチや東屋があるので、桜島や錦江湾を見ながら持ってきたお弁当でお昼ご飯。人もほとんど歩いていなくてのんびりゆったりとした時間が気持ちいい。
烏島展望台
この下には烏島と呼ばれる島がありました。大正3年(1914)の大爆発により、流れ出た溶岩で海岸から約500m沖合にある高さ20m、周囲500mの無人島が、すっかり溶岩の下20mに埋もれてしまいました。またこの時の噴火で大隅半島と陸続きになりました。
帰りはスーパーマグマロードを歩いて戻ります。街燈は桜島大根だね。予定よりも早くフェリー乗り場に着けそうだっだので、近くの国民宿舎にある桜島マグマ温泉でひと風呂浴びることにしました。九州まで来たのにビジネスホテル泊りで温泉に入ってなかったもの。地下1,000mから湧く鉄分豊富な茶褐色の温泉です。入浴料300円。よりみちクルーズの半券があれば250円で入れます。なぎさ公園には無料で入れる足湯もあります。
フェリーで鹿児島港に戻ったらちょうど仙巌園に行くバスに乗れました。仙巌園は1658年につくられた島津家の別邸で、桜島を築山に錦江湾を池に見立てるという雄大な大名庭園です。昨日列車から見た正門は篤姫のロケでも使われていたそうです。
反射炉跡
世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の1つで、大砲を鋳造するために鉄を溶かした西洋式の施設跡です。
尚古集成館本館
こちらも世界遺産に登録された旧集成館機械工場。慶応元年(1865)年竣工の現存する日本最古の機械工場で、現在は島津家の歴史と近代化事業を紹介しています。見ごたえがあって思っていたよりも時間がかかりました。
天文館公園
バスで天文館に移動します。空港行きのバスの時間を確認したら商店街をぶらぶら。この辺りは鹿児島で一番の繁華街です。が、最近は鹿児島中央駅や郊外のモールとの競争が激しくなっていて大変らしい。天文館の名前の由来は、江戸時代に天文観測や暦の作成などを行う「明時館(別名:天文館)」があった場所にちなんでいます。
鹿児島に訪れたのは初めて。鹿児島城はちょっと期待はずれでしたが、桜島の迫力には大満足。行ってよかった。現在は落ち着いているけど、活火山でいつ噴火するかわからない桜島とよく上手く付き合ってるなと思います。神奈川は大涌谷の噴火で大騒ぎだったもの。見習わなくちゃ。今回はお城めぐりの予定で来たけど、計らずも最後の内戦といわれる西南戦争の跡をたどっていく旅ともなりました。戦国時代までの戦いは戦(いくさ)であって、互いに名乗りを上げて戦っていたけど、戦争と呼ばれるようになってからの戦いは、もう個の戦いではなくなってます。うろ覚えなのだけど、何かで見た西南戦争の記録では旧式の薩軍は誰がここで戦ったとかがわかるようになっているのに、官軍はただ同じ制服を着た人物が描かれているだけで、個としての判別がつかないように書かれているといっていたような。勝った官軍はこの、富国強兵を進めてどんどん大きな戦争を仕掛けて、それが第二次世界大戦までつながってしまった気もする。何が正しいかは時代が判断することだけど、こうして好きなところに旅行できて、楽しく過ごせるのも平和だからこそ。きな臭い話題も聞こえてきますが、世界中にイマジンな世界が広がるといいなぁ。
2016年がいい年でありますように☆