キロポスト(距離標)
現在の一里塚。100キロポストは雀宮神社のすぐ先にあります。距離は東海道でいうと箱根。東海道歩きではまだまだ始まったばかりですが、こちらはもう3分の2を過ぎました。歩く人も少ない国造沿いの歩道。一人で歩いている時にこの距離ポストは励みになります!
(自治医大駅) → 石橋宿 → 雀宮宿 → 宇都宮宿 → (バス停 山王団地入口) 約27km
下野新庁舎新築工事
自治医大駅を下りて街道歩き再開。4号線を渡って旧道に入ります。後ろを振り返ると、どぉぉぉ~んと旧道を塞ぐように建っている工事中の新庁舎。これじゃ・・・旧道復活はないのかなぁ
気を取り直して歩きましょう。住宅地を抜けると畑が広がってきます。お天気も良い絶好の街道日和。こういう道は歩いていて気持ちいいなぁ
正面に林が見えてきました。
旧道歩きもここまで。林の中には道はつながってないので、この先は国道を歩きます。
国道に出てきました。宇都宮まで17キロ。
慈母観音
工場の入口に立つ観音様
秋になるとよく見かけるヨウシュヤマゴボウ
美味しそうな実だけど食べちゃダメ。有毒植物です。
下石橋の石仏
この辺りから石橋宿に入ります。石橋宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠30軒の小さな宿場だったと云われています。
遠くからも目を引く大きな木。
神社か何かかと思ったら民家の庭に植えられていました。奥にある田んぼではもう稲刈りも済んでいました。
鞘堂地蔵尊
南北朝末期、天授6年(1382)の小山・宇都宮合戦の折、戦死した者の鞘を集めて御堂を建て、地蔵を安置しました。宇都宮基綱を討ち取った下野守護小山義政ですが、この戦を基に滅亡への道を進んでいきます。
星宮神社
ロマンチックな名前です。下石橋の交差点の手前にも星宮神社への参道入り口があったっけ。調べてみると栃木にはとても沢山の星宮神社があります。
宇都宮市に入ります。
すぐ脇のヨークタウンでトイレ休憩。小腹がすいたのでKFCでエネルギーチャージ
雀宮神社
雀宮宿の名の由来となった雀宮神社。諸説ある由来の中で、藤原実方が陸奥守として赴任途中休憩したこの地で、後を追ってきた妻の綾女が病死し、遺言で持ってた宝珠をこの地に埋めました。その後、赴任地の陸奥で実方がなくなると、その霊魂が雀となってこの地に飛来したので、綾女と実方を合祀し雀宮と称した。という悲しい話が伝わっています。
不動堂
道は不動前通り、蓬莱大黒通り、材木町通りと続きます。宇都宮が大きな城下町だったことが通りの名前からもわかります。何となく曲がっている道は枡形の名残かなぁ。
松原3丁目で119号線に合流。国道沿いを2キロ程歩いて宮環上戸祭町交差点を過ぎると桜の並木道。この先時々途切れはしますが、桜や杉の並木道が続いていきます。多少アップダウンはありますが、車道よりも一段上にあるから歩いていても気持ちいい。
上戸祭の一里塚
28里目の一里塚。両側に残っていますが、一部修復整備したものです。
並木もそろそろ色づき始めています。
将軍の日光社参の休憩所
第六号接合井
東北自動車道をくぐった先にある大正時代に施工されたレンガ造りの土木遺産です。接合井は今市浄水場で浄水した水を標高差240mある配水場まで送る際、排水管にかかる水圧を弱めるために建設されました。実は小高い丘に立つ接合井をみて一瞬、一里塚だと思って地図を見たら通り過ぎていました。東北自動車道の手前にあったのだ。気になって帰りのバスの中から見ていたら、あった!すごくわかりやすい!目の前を歩いている!・・・・何で気づかないんだろう~
山王団地入口バス停
またまた雲行きが怪しくなってきた。時刻表を見たらもうすぐバスが来そうだったので今日はここで終了としました。バスで宇都宮駅へ戻ります。
ねぎ味噌餃子定食(味噌と餃子の青源)
宇都宮ときたら餃子。駅ビルの1階にあるお店で少し早い晩御飯。さっぱりとしたお味で美味しくいただきました。
朝はあんなにいいお天気だったのに帰るころは空は雲に覆われていました。天気が急変するとびっくりするような大雨になることが多いこの頃。慣れない土地なので無理せずに早めに切り上げました。この先はバスの本数も少なくなるからちょうどいいタイミングだったと思う。宇都宮では雨に降られなかったけど、横浜に戻ったら雨。一雨ごとに涼しくなっていきます。今日は旧道をでたらずっと国道歩き。車社会だから歩道を歩いている人って少ないね。緑がない車道脇の歩道をずっと歩いていく励みはキロポスト。まさに現在の一里塚。宇都宮を過ぎて並木道になるとやっぱりうれしい。そんなこんなで街道歩きもそろそろゴールが見えてきました。