小金井一里塚 (国指定史跡)
二十二里目の一里塚。日光道中で原型をとどめる一里塚です。塚は五間(約9.1m)四方の四角形に築かれ、エノキが植えられていましたが、今では丸塚となり、何代目かのエノキとなぜかクヌギの巨木が同居しています。
(間々田駅) 間々田宿 → 小山宿 → 新田宿 → 小金井宿 → (自治医大駅) 約19km
小山市立博物館
間々田駅を下りてまっすぐ歩くと前回終了地点の間々田駅入口。ですが、通り過ぎて博物館を目指します。「徳川家康公と小山」という企画会が開催中(~10/12)。徳川の天下を決定したとも云われる小山評定についての企画展です。思っていたよりもこじんまりとした展示でしたが、小山評定をイメージした、入口のレプリカ甲冑は武将の個性が出ていて見ごたえがあります。(左から、大久保忠勝、黒田長政、徳川家康、井伊直政、山内一豊 他に細川忠興、福島正則、加藤嘉明、藤堂高虎の甲冑もありました) また、展示品の日光社道中絵図はとても細かく描かれていてお供に欲しい。
博物館の隣にある乙女からわの里公園(乙女不動原瓦窯跡)の彼岸花はそろそろ終わり
逢の榎
間々田駅入口の交差点に戻って街道歩きを再開です。しばらく歩くと道の右側に逢の榎。実は道の反対側を歩いていて見逃してしまい戻って確認。江戸と日光の中間にあり「間の榎」として目印になっていましたが、いつのころからか縁結びの木として信仰を集めるようになり「逢の榎」として知られるようになりました。
間々田宿問屋場跡
間々田宿は日本橋から11番目の宿場で、江戸と日光の丁度中間の宿場として栄えていました。天保14年(1843)の記録によると、石高944石、家数175軒、人口947人、旅籠50軒、本陣1、脇本陣1と記されています。
間々田八幡宮
岩盛 西堀酒造
大正以前の建物や施設が現役で使われています
粟宮の交差点手前の道の反対側には立派な神社。横断歩道が近くになく道の反対から写真だけ。安房神社を左手に見なが粟宮の交差点で4号線と分かれて小山宿へと進みます。
この辺りが小山宿の江戸口。小山宿は、小山城(祇園城)の城下町でもあり、北関東の交通の中心でした。宿内には将軍の日光社参のための小山御殿が現在の市役所の辺りにありましたが、古河藩の財政難のために解体され遺構は残っていません。
うどん(藤ヱ門)
駅前で「開運のまち小山」の、開運うどんをいただきます。
喜沢分岐点
交差点の名前が地図では喜沢東って書いてあったけど、変わったのかなぁ。さて、ここで一緒に歩いてきた芭蕉さんとお別れ。芭蕉一行はここから壬生道を通って日光へ向かいます。角のお店の脇にあった道標には、左日光、右奥州って書いてありました。日光に行くには壬生道を通って行った人のほうが多かったのでしょう。
喜沢分岐点の交差点を渡ったあとは右手の細い道が日光道中
林の中に一里塚があったらしい・・・見つけ損ねた。
新幹線脇を歩き始めたところで工事中の看板。仕方ないので、4号線を歩きます。
新田宿本陣跡
旧道と4号線が合流したあたりから新田宿が始まります。この門は昔から残っているのかなぁ。案内板が何もありません。
案内板は無いけど、町ぐるみで新田宿を静かにアピール。ここでも奥州道中って書いてある。
新田の道標群
4号線を銅市金属工業のところで左に入って旧道を歩きます。道なりに歩いていくと木の後ろに石仏群。でも、写真のまっすぐの道が旧道。石仏を確認したら戻って旧道を歩きます。
「はねきた通り」
車が通らない気持ちのいい道。ですが、調子に乗ってずんずん歩いていると行き止まり。地図にも羽川住宅の前で国道に戻ると書いてあったのだけど、あまりにいいみちなんでつい歩いてしまいました。結局道を戻って国道に出る羽目に。ファミマのところでまた旧道に戻ったけど、途切れている部分って200mも無いんじゃなかろうか。早くつながらないかなぁ。
小金井一里塚
旧道から一里塚は見えるのに道はまっすぐには続いていません。手前に空き地と家があります。一里塚の奥にも家が建って、一里塚のあるところだけが公園のように残っています。道が続いてないのはちょっと残念ですが、こんなにきれいに一里塚が残っているのは素晴らしい。
慈眼寺
新田一族の祈願所として建立されました。門前には沢山の石石仏群。ここにも二十三夜塔、二十六夜塔、十九夜塔。この辺りが小金井宿の中心地。
微妙な空模様になってきた。奥に見えるのは日光の山並み
下野市新庁舎建設工事
旧道をドーンと塞ぐように建設中の新庁舎。ちゃんと街道を歩けるように残してくれるのかなぁ。工事現場の脇を歩くとすぐに自治医大駅が見えてきます。もう少し歩こうかとも思ったけど、黒い雲が気になるので、ちょっと早いけど今日はここで終了です。
夏の間暑いからと中断していた街道歩き。再開しようと思っていたところで9月10日の豪雨。今回歩いた小山市でも冠水や断水の被害が出ていたので予定よりも少し遅れての街道歩き再開となりました。街道沿いは大丈夫だったけど、決壊した鬼怒川の辺りはまだまだ復旧途中。日光道中のある利根川流域の関東平野は、江戸時代からずっと河川改修が続けられている水害の多い土地であったのは知っていたけど、堤防決壊は映像で見るとまるで津波のようで恐ろしかった。最近の雨は異常気象も相まってびっくりするような大雨になるから怖いですよね。PKOもいいけど、もっと足元の日本の国土を、自然災害や原発事故からちょんと守ることのほうが大事なんじゃないなかろうか。そのスキルは世界中で起こっている自然災害にも対応できるのだから、不得手な戦闘に参加するよりもずっといいと思うのになぁ