マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【鎌倉街道 上道】4日目 町田から永山  2021.10.11(月)

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鎌倉古道(七国山緑地)

鎌倉古道(七国山緑地)

 

町田町田駅七国山 小野路 → 永山小田急永山/京王永山駅) 約14km)

 

 本当ならば今日は体育の日。今は「スポーツの日」だっけ。ですが、オリンピックのため今年は平日となっています。ちょうどお休みを取っていたし、お天気もいいので昨日の続きを歩いてきました。

 

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町田駅から鶴川街道に入り、小田急線の踏切を渡ります。歩いていくと小学校の角に大きな馬頭観音がありました。すぐ先の中町交番前の交差点で町田街道を渡ります。町田街道は、境川水系と鶴見川水系の分水界にあたります。しばらく鶴川街道を歩いていくと鎌倉街道(県道)と合流して一気に道幅が広がります。

 

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菅原神社

街道脇の高台に建つ菅原神社は、町田三天神のうちの一社です。室町時代に近在の大沢左近正次が天神像をこの地に奉安しました。寛永7年(1630)に子孫の大沢玄藩が新たな天神像を奉安し、この地を寄進して本町田の鎮守としたのが菅原神社の縁起となっています。またこの地は「井手の沢古戦場跡」でもあります。碑があったようですが撮り忘れました。1335年「中先代の乱」で、足利直義がこの地に陣を置き、信濃で挙兵した北条時行勢らと激しい戦を行った場所です。街道はここから丘陵地帯に入ります。ということは、ここを破られてしまうと一気に鎌倉近くまで攻め込まれてしまうわけで・・直義を破った時行軍は鎌倉を占領してしまったのでした。

 

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浄土宗 鶏足山 智光院 養運寺

菅原神社前の交差点を渡り、鶴川街道を進んで恩田川を渡ります。渡った2つ目の信号を左に入ると養運寺が見えてきます。永禄十年 (1567)に光蓮社伝譽上人により浄土宗寺院として開創されたと伝えられていますが、前身は天台宗寺庵といわれ鎌倉時代よりある寺だと考えられています。

 

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本町田遺跡

その先は道なりに宏善寺へと歩いていくのですが、ちょっと寄り道。急な坂を上っていくと本町田遺跡があります。藤の台団地造成の際に行われた調査で、縄文時代前期と弥生時代中期の竪穴住居跡が発掘されました。離れた時代の集落が同じ場所にあるのはあまり例がなく、縄文・弥生住居1軒ずつが復元されています。ガイダンスルームもあるのですが・・・・今日は平日の月曜日。休園日でした。残念。写真だけとって日向山公園側の急な坂を宏善寺へと下ります。

 

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日蓮宗 久住山 宏善寺

文永八年(1271)日蓮聖人が相模の国から佐渡へ向かう途中、出ノ沢にある観音堂で休憩した際に板本尊を安置したのが始まりとされています。恩田川(支流?)を渡ると鎌倉街道に合流します。恩田川の水源はこの辺りのようで、中道の時に中山で渡った恩田川と比べるととても小さな流れです。この先で鎌倉街道(県道)に出ます。

 

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木曽団地東の信号を渡り、右に曲がって鎌倉街道(県道)を北上します。しばらく進み、左手にヤマト運輸が見えてきたところで左手の坂を上っていきます。桜美林大学キャンパス脇のY字を右に入り細い道を下ると千代ヶ丘入口の交差点です。大きなトラックの陰になってしまいましたが、信号を渡ってすぐ先の細い坂道を上っていきます。

 

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町田ダリア園

坂を上っていくとダリア園が見えてきました。ちょうど見頃のようでしたが、今回は外から眺めるだけで先を急ぎます。道が突き当たったところで右に曲がり、一段高い道へUターンして進みます。道なりに進み、カープミラーのある突き当りの道を左に入ると鎌倉井戸が見えてきました。

 

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鎌倉井戸

新田義貞が鎌倉攻めの際にここに井戸を掘り、軍馬に与えたと伝わっています。今は埋まっていますが、地下には当時の円筒形の井戸が原型のまま保存されているそうです。

 

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そのまま舗装された道を進むと左手に土道が分かれます。足元に「鎌倉古道 鎌倉街道上道」の案内があるので、そのまま土道に入り雑木林の中を進みます。七国山緑地保全地域となっていてきれいに整備されていました。

 

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雑木林を抜け鶴見川を渡ります。知っている鶴見川と比べるとこの辺りは小さな川ですね。芝溝街道を信号で渡り、「野津田公園南入口歩行者専用」と書いてある案内板に従って坂を上っていきます。

 

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鎌倉古道 上ノ道 遺構(野津田公園)

公園の中に上道の遺構が残っていました。野球場の辺りで途切れてしまいましたが、ちゃんと残しているんですね。湿生植物園の辺りから公園を抜けて小野路宿へ向かいましたが、合流した道は交通量が多いのに歩道がなかったり、突然反対側になったりと歩きにくい道でした。スタジアム側から公園を抜けて都道を歩いて交流館に行く方が歩きやすそうです。スタジアム側には自由民権運動家として活躍した村野常右衛門の生家も移築されていて、土日のみの公開されています。都道は昔の大山道だとか。

 

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小野路宿交里山流館

小野路宿は、江戸時代には東海道甲州街道を結ぶ脇往還、また埼玉方面からの大山詣での宿場として賑わっていました。小野神社前交差点脇にある交流館は、6軒あった旅籠のうち「角屋」を改修して再整備されました。地元野菜やお惣菜の販売や軽食を食べることが出来ます。

 

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小野路うどん

交流館でお昼にしました。蕎麦みたいに細いうどんを暖かい汁でいただきます。美味しかったぁ。久しぶりの外食です。

 

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小野神社

交流館の隣にある小野神社は、天禄年間(972年頃)に武蔵国司として赴任した小野孝泰(小野篁の7代後の子孫)が、この地に祖先の小野篁を祀ったのが始まりとされます。

 

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小島資料館

小野路村の名主であった小島鹿之助の家を資料館としています。開館は第一・第三日曜日。鹿之助は天然理心流近藤周助の門人でした。近藤勇や日野宿名主の佐藤彦五郎とも剣で交流を深め、近藤や土方はよく出稽古に訪れていたといいます。また鹿之助は学問にも造詣が深く、近藤は漢詩儒教の教授を受けていたといいます。

 

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小野路宿

宿場町の風情を残した街並みです。何だかすっきりしていると思ったら、電線が地中化されているんですね。中宿バス停辺りが宿場の真ん中。高札場があったそうです。

 

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関谷の切り通し

高札場跡の少し先にある道標「関谷の切り通し」から細い坂道に入ります。「←一本杉公園/小野路宿→」の案内板のある薄暗い細道を入ると「関谷の切り通し」に続きます。この道は布田道。近藤勇や土方、沖田らが出稽古のために通った道とされています。

 

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切り通しを見学したら分岐まで戻り、一本杉公園方面に進みます。お地蔵さんを過ぎ、次の分岐を右、土道との分岐に来たところで、左の土道に入ります。地図ではよくわからない分岐がたくさんありますが、立入禁止の場所には案内があるので迷わずに通り抜けることが出来ました。

 

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多摩よこやまの道

舗装道路(多摩よこやまの道)にでたら道なりに進みます。左手にあるのが一本杉公園。ここも大きな公園みたいです。そしてこの道は「よこやまの道」にもなっています。多摩丘陵の尾根道にあたる道が散策路として整備されています。色々なコースがあるようです。

 

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日蓮宗 大平山 妙櫻寺

よこやまの道はここを右に上っていきます。妙櫻寺は昭和に開山された新しいお寺のようです。この辺りの尾根が、鶴見川水系多摩川水系の分水界。この先は多摩ニュータウン団地中の貝取大通りを進みます。

 

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シラカシ庚申塔

青陵中学校の先で右の道に入ります。階段を上った団地の片隅に大きなシラカシ庚申塔がありました。階段を戻り大福寺の先の分岐を右に進みます。

 

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そのまま右側の歩道を歩いていたら車道を分かれて、いつの間にか貝取山緑地に入ってしまいました。階段を下りるとさっきの道に合流。鎌倉街道(県道)に出て、小田急線・京王線の高架をくぐったところで今日は終了。永山駅に向かいます。

 

 昨日の平坦でなだらかな道から、多摩丘陵のアップダウンのある道となりました。この辺りは鎌倉時代、丘で囲まれた池や湧水がある「牧」となっていました。牧場を想像すると平らな広い草原を思うので不思議に感じますが、だからこそ屈強な馬と坂東武士が生まれたのかもしれませんね。でも大規模なニュータウン開発で雑木林もだいぶ少なくなっています。「平成狸合戦ぽんぽこ」の舞台はこの多摩丘陵だそう。狸たちの力及ばず開発されてしまいましたが、まだ鎌倉古道も昔の面影を残していました。小野路宿の西側にも里山散策ができる道もあるそうだし、「よこやまの道」も気になります。またゆっくりと訪れて散策したい場所でした。