6月というのにもう台風被害を心配しないといけないなんて。
これも温暖化の影響なんでしょうかね・・・・
天気予報はカラッとした晴れ。
と、言っても雲が多いけど・・・・
今日は戸塚を8時過ぎの出発です。
戸塚は江戸をたった旅人の第一番目の宿泊地として
たいそう賑わっていて、本陣2、脇本陣3、旅籠75と
東海道53次の中では10番目に宿泊施設の多い宿場でした。
今は案内板ばかりですが・・・
本陣跡の碑を過ぎしばらく歩くと
「お札まき」で有名な八坂神社があります。
女装した男の氏子達がお札をまいて町内を練り歩くという
ちょっと珍しいお祭りです。
屋台もいっぱい出てどっから出てきたんだと
思うくらい人があふれてきます。
八坂神社のすぐ先には富塚八幡宮。
山頂の古墳は富塚彦命の墳墓とされていて
「富塚」と呼ばれ、これが「戸塚」の地名の
由来になったといわれています。
源頼義、頼家父子がここ野営し勝利したことに
感謝して創建されました。
菅原道真公も奉られていたり
芭蕉の句碑もあります。
「鎌倉を生きて出けむ初松魚」
「上方見付跡」や「第六天」を過ぎると
ダラダラとした坂に差し掛かります。
「大坂」です。 石仏群とか見ながら登りきると
新道と合流です。
箱根駅伝で有名な戸塚中継所は合流前の新道側です。
戸塚駅周辺にはこんなマンホールもあります。
中央分離帯に松が植わっているとはいえ
車通りが多くて東海道気分にはちょっと遠い道を歩いていると
忠臣蔵の「お軽勘平の碑」があります。
サイドストーリーだけど戸塚も舞台になっているのね。
原宿の一里塚を通り過ぎて原宿の交差点へ。
立体交差になったから渋滞は緩和されたのかしら。
藤沢バイパスまでひたすら歩いて国道と別れ
鉄砲宿で戸塚茅ヶ崎線にはいります。
今度はダラダラとした坂を下っていくと「遊行寺」につきます。
正式名称は「清浄光寺」
だからなのかな本陣跡の案内の角柱とかはあるけど
引地川を過ぎメルシャンの工場脇をぬけ歩いていくと
大山道の道標「四谷不動」でまた国道1号と合流します。
曇っていてちっとも晴れません。
黒ーい雲も出てきて蒸し暑いし、単調だし、なんだか疲れたし
お腹も減ったし、なんて思いながら歩いているとマックが。
ちょっと休憩。エネルギー補給して歩けば松並木とかもあって
もうすぐ茅ヶ崎。「一里塚」があります。
昔の人も一里塚をみて励みにしたように
一里塚を見てまた歩こうって気になるのは今も変わりませんね。
途中道祖神を眺めたりしながらひたすら歩きます。
千ノ川の鳥井戸橋で「南湖の左富士」が見えるはず
でしたが、曇っていて見えませんでした。
車で通っていたときも気になっていた真っ赤な鳥居。
あまり考えずに参道へ入っていくと松並木が延々と
続いていきます。まだ歩くのかぁと思った頃
「鶴峰八幡宮」につきました。
源氏が関東へ進出する第一歩として
祀った最初の氏神社です。
海の日には浜降り祭も行われます。
ちょっと遠すぎる寄り道をして疲れたなぁ
と思っているとやっと相模川につきました。
大雨が降っていたから川の色は茶色です。
車や電車では何回も渡っているのに新鮮な気分です。
相模川に橋がかけられたのは明治になってから。
江戸時代は渡しで超えていたんですね。
馬入橋を渡り馬入の交差線で国道とわかれ旧道へと
入ります。平塚宿はまだもうちょっと先。
平塚宿を廻るのは次回にして
平塚駅から帰ることにします。
駅でお土産に落花生の甘納豆と最中を買いました。
歩いている途中にも案内があったけれども
秦野のは落花生の有名な産地なんだそう。
落花生といえば千葉のイメージだった。
県内に住んでいたのに知らなかったぁ・・・
ずっと神奈川に住んでいるのに知らないことって結構ある。
東海道を歩きながら地元の再発見もしている感じ。
歩行距離: 約20キロ 7時間