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【日本100名城 その13】  44 名古屋城


44 名古屋城 (愛知県名古屋市)  別名:蓬左城、楊柳城、柳が城、金鱗城、他



イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平城
 
 ・築城     慶長15(1610) 徳川家康
 
 ・主要城主 徳川氏
 
 
                                        (登城日: 201589日)



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慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに勝利をした徳川家康は、慶長14(1609)豊臣方への備えを強固にするため那古野の古城跡に名古屋城の築城と清州から新城下への街丸ごとの引越し(清州越し)を決定。慶長15年(1610)、加藤清正を総指揮者として北国・西国の諸大名に命じて名古屋城の築城を開始し、慶長17年(1612)に天守閣が完成。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以後名古屋城は御三家尾張徳川家の居城として栄えました。
維新後も名古屋離宮として国宝に指定されましたが、昭和20(1945)の名古屋空襲によって本丸のほとんどを焼失しました。昭和34(1959)天守が再建されました。



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東南隅櫓(辰巳櫓/重文)
天守と同じ慶長17((1612)頃の完成といわれており、当時は両脇に多門櫓が付属していましたが近代に撤去されています。また、屋根大棟の鯱は明治43(1910)江戸城から移したとされています。


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表二之門(重文)
本瓦葺の高麗門で現存する名古屋城創建時の建造物


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本丸表一之門跡


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本丸御殿
初代尾張藩主の住居・政庁として慶長20(1615)に建てられた書院造の御殿ですが、昭和20年(1945)の空襲により焼失しました。平成21(2009)から復元工事が開始され、平成25年に第一期部分(玄関と表書院)が公開されています。すべての工事完了は平成30年予定


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清正石
名古屋城で最大の石垣石材。本丸搦手枡形の石垣は黒田長政の担当でしたが、巨石のため加藤清正が積み上げたと伝えられています。


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加藤清正の石曳きの像
築城の名手である加藤清正の担当は天守の石垣。東門を入った東南隅櫓の前あたりに像はあります


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旧二之丸 東二之門(重文)
本来は東鉄門という二之丸東の枡形外門で現在の東門の東側にありましたが、体育館建設にあたり現在地に移築されました


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天守からの眺め(北)
岐阜城、白山、小牧山犬山城・・・空気が澄んでいれば良く見えるのだろうけど


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天守からの眺め(西)
名古屋駅御在所山鈴鹿山脈、養老山脈・・・


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天守からの眺め(南)
テレビ塔熱田神宮、名古屋港・・・


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天守からの眺め(東)


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金鯱 模型
ちなみに現在の鯱は、
雌(南側) 高さ:2.579m  重量:1,215kg  鱗の枚数:126枚  金量(18k)43.39kg
雄(北川) 高さ:2.621m  重量:1,272kg  鱗の枚数:112枚  金量(18k)44.69kg


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西北隅櫓(戌亥櫓/重文)
元和5(1619)の完成。三重櫓としては規模が大きく、清州城天守の古材を転用したとされていて清州櫓とも呼ばれています


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鵜の首
敵の侵入を防ぐため、堀を内側に入れ込み道幅を狭くてあります


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正門


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西南隅櫓(未申櫓/重文)
東南隅櫓と同時期の完成とみられていて、こちらも両脇に多門櫓が付属していました。濃尾地震(明治24/1891)により被害を受けましたが、建造当初に復旧されています


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那古屋城(二之丸庭園)
大永年間(1521-28)に、今川氏親が名古屋台地北端(名古屋城二之丸あたり)に築いた城で、柳之丸ともいわれ今川氏豊を城主としました。織田信秀は、天文7(1538)この城を奪い、ここに居するが天文11(1542)頃に古渡城を築城し、嫡子信長が居城しました。弘治元年(1555)信長が清州に移ったあと、織田信光がしばらく居城していましたが、やがて廃城となりました。

名古屋城には20年以上前に来たことがある。その頃はあまりお城には興味がなくて、金鯱の模型が大きかったことと、鹿がいっぱいいたことくらいしか記憶がない。そういえば鹿見てないなぁ。そしてその頃にはなかった本丸御殿。とても豪華な御殿でした。真っ白な檜に金ぴかの障壁画。大きく立派な天守閣と相まって権力の象徴ですね。加藤清正福島正則名古屋城築城にあたったわけだけど、思いとは裏腹に秀頼を追い詰めていくことになっていったわけで。勇ましい石曳き像の姿の裏にいろんな思いを抱えていたんでしょうね。夏休みということもあって、盆踊りやいろんなイベントもある宵祭りが開催されていました。夜はきっと賑やかなんだろな。本丸御殿が全部完成したら、また訪れてみたいです。