☆データ☆ (100名城ガイドブックより)
・城地種類 平城
・築城 慶長15年(1610) 徳川家康
・主要城主 徳川氏
(登城日: 2015年8月9日)
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに勝利をした徳川家康は、慶長14年(1609)豊臣方への備えを強固にするため那古野の古城跡に名古屋城の築城と清州から新城下への街丸ごとの引越し(清州越し)を決定。慶長15年(1610)、加藤清正を総指揮者として北国・西国の諸大名に命じて名古屋城の築城を開始し、慶長17年(1612)に天守閣が完成。尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、以後名古屋城は御三家尾張徳川家の居城として栄えました。
東南隅櫓(辰巳櫓/重文)
表二之門(重文)
本瓦葺の高麗門で現存する名古屋城創建時の建造物
本丸表一之門跡
本丸御殿
初代尾張藩主の住居・政庁として慶長20年(1615)に建てられた書院造の御殿ですが、昭和20年(1945)の空襲により焼失しました。平成21年(2009)から復元工事が開始され、平成25年に第一期部分(玄関と表書院)が公開されています。すべての工事完了は平成30年予定
清正石
加藤清正の石曳きの像
旧二之丸 東二之門(重文)
本来は東鉄門という二之丸東の枡形外門で現在の東門の東側にありましたが、体育館建設にあたり現在地に移築されました
天守閣
天守からの眺め(北)
天守からの眺め(西)
天守からの眺め(南)
天守からの眺め(東)
ナゴヤドーム・・・
金鯱 模型
ちなみに現在の鯱は、
雌(南側) 高さ:2.579m 重量:1,215kg 鱗の枚数:126枚 金量(18k):43.39kg
雄(北川) 高さ:2.621m 重量:1,272kg 鱗の枚数:112枚 金量(18k):44.69kg
西北隅櫓(戌亥櫓/重文)
元和5年(1619)の完成。三重櫓としては規模が大きく、清州城天守の古材を転用したとされていて清州櫓とも呼ばれています
鵜の首
敵の侵入を防ぐため、堀を内側に入れ込み道幅を狭くてあります
正門
西南隅櫓(未申櫓/重文)
東南隅櫓と同時期の完成とみられていて、こちらも両脇に多門櫓が付属していました。濃尾地震(明治24年/1891)により被害を受けましたが、建造当初に復旧されています
那古屋城跡(二之丸庭園)
大永年間(1521-28)に、今川氏親が名古屋台地北端(名古屋城二之丸あたり)に築いた城で、柳之丸ともいわれ今川氏豊を城主としました。織田信秀は、天文7年(1538)この城を奪い、ここに居するが天文11年(1542)頃に古渡城を築城し、嫡子信長が居城しました。弘治元年(1555)信長が清州に移ったあと、織田信光がしばらく居城していましたが、やがて廃城となりました。
名古屋城には20年以上前に来たことがある。その頃はあまりお城には興味がなくて、金鯱の模型が大きかったことと、鹿がいっぱいいたことくらいしか記憶がない。そういえば鹿見てないなぁ。そしてその頃にはなかった本丸御殿。とても豪華な御殿でした。真っ白な檜に金ぴかの障壁画。大きく立派な天守閣と相まって権力の象徴ですね。加藤清正や福島正則も名古屋城築城にあたったわけだけど、思いとは裏腹に秀頼を追い詰めていくことになっていったわけで。勇ましい石曳き像の姿の裏にいろんな思いを抱えていたんでしょうね。夏休みということもあって、盆踊りやいろんなイベントもある宵祭りが開催されていました。夜はきっと賑やかなんだろな。本丸御殿が全部完成したら、また訪れてみたいです。