マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

京都 きぬかけの路   2015.1.31

ぷらっと京都に行ってきました。きっかけは、夜更かししていると必ず見てしまう 「2355」 という番組で流れている、おやすみソングのひとつ 「龍安寺の歌」。この歌を聴いていたら龍安寺に行きたくなりました。新幹線で京都まで行き、山陰本線嵯峨野線)に乗り換えて花園駅で下車。今日はここからスタートです。

 
花園駅妙心寺→きぬかけの路(仁和寺龍安寺金閣寺)→バスで洛中に移動
 

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京都最大の禅寺。建武4(1337)花園法皇離宮を禅寺に改めて創建。典型的な禅宗伽藍配置で約10万坪におよぶ境内には40以上の塔頭寺院が並んでいます。
 

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山門 慶長4(1599)創建 重文 京の冬の旅で特別公開中

内部には観音菩薩像や十六羅漢が安置されていて、天井には天女や飛龍、楽器などが色鮮やかに描かれています。楽器が勝手に音を奏でないようにと縛られているのが何だかおもしろいなぁ。
 

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浴室(明智風呂) 天正15(1587)創建 重文
明智光秀の菩提を弔うために創建。そののち明暦2(1656)に改建。浴槽は蒸風呂で座禅を組みながら入浴したそうです。
 

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仏殿・法堂
仏殿 文政10(1827)創建 重文
本尊は釈迦如来。そういえば山門の十六羅漢の一人、釈迦の子、羅睺羅(ラーゴラ)は仏殿のほうを向いていました。
法堂 明暦2(1656)再建 重文
住持の演法や重要な儀式の行われる場所で、鏡天井には狩野探幽が描いた雲龍図が睨みをきかせています。高さ13mの天井に描かれた直径12,5m雲龍図を、説明を聞きながらぐるっと回りながら角度を変えて見ると、下り龍が登り龍に変化して、表情もどんどん変わってとても迫力があります。これは必見!とても素晴らしかった!堂内には日本最古の鐘(文武天皇2/698)も保存されています。
 
 
 
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妙心寺から嵐電の踏切を渡って仁和寺へと向かいます。
 
 
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平安時代光孝天皇が西山御願寺として着工し、仁和4(888)宇多天皇が完成。出家後宇多法皇となってから代々皇室から住職を迎え御室御所と呼ばれています。応仁の乱でほとんどを焼失しました。寛永年間に徳川幕府により伽藍が整備、慶長度の御所造替により、御所から紫宸殿(金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建物が下賜され、正和3(1646)再建が完了。慶応3(1867)に皇室出身者が門跡となる宮門跡の歴史が終了。平成6(1994)には世界遺産に登録されました。春は御室桜が見事です。
 
二王門 (1641-45建立) 重文 
高さ18,7m。重層、入母屋造、本瓦葺の和様建築。正面左右には阿吽の仁王像、背面には唐獅子像が安置されています。
 

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御殿 南庭

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御殿 東庭

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御殿 勅使門 大正2(1913)竣工
御殿は明治20(1887)に焼失し、明治末期から大正にかけ再建されました。
 
 
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金堂 (国宝)  京の冬の旅特別公開中

慶長18年(1613)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624-1644年)に移築。本尊阿弥陀三尊像を祀り、桃山時代の宮殿建築を伝えています。屋根の上には亀に乗った黄安(こうあん)仙人がいます。亀は30004000年に一度、水面に顔出すといわれ、 永遠の象徴として安置されています。

 
 
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経堂 寛永~正保年間に建立(重文)京の冬の旅特別公開中
「天海版一切経」を納めるお堂で、八角形の回転式輪蔵の各面に96箱、総計768の経箱があります。 内部は釈迦如来文殊菩薩普賢菩薩など六躯を安置し、壁面には八大菩薩や十六羅漢が描かれます。禅宗様建築。
 

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五重塔 寛永21(1644)建立
一番下の屋根には四隅を支える力持ちがいます。


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きぬかけの路
仁和寺から”きぬかけの路”を歩いて龍安寺へ向かいます。
きぬかけの路とは、平成3(1991)公募により名付けられた仁和寺から金閣寺まで続く約2,5キロの道。その昔、宇多天皇が真夏の衣笠山に白絹を掛けて雪景色を楽しんだとの故事から衣笠山はきぬかけ山とも呼ばれることに由来しています。車道の脇を歩いていくので風情はあまりないですね。
 

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湯豆腐 龍安寺 西源院
龍安寺に到着。まずは腹ごしらえ。境内にある西源院で湯豆腐をいただきます。雲がかかってきて雪がちらつき始めました。精進料理・七草湯豆腐付を注文。お庭を眺めながらの湯豆腐はとっても雰囲気があっていいですね~。ゆったりとした時間が過ごせます。精進料理は・・・。お値段を考えたら七草湯豆腐単品にご飯かお酒を付ければ充分かな?さて、お腹もいっぱいになったところでゆっくりと拝観しましょう。


徳大寺家の別荘だったのを、宝徳2(1450)細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建。応仁の乱に焼失して明応8(1499)に再興。寛政9(1796)に火災により焼失した際、塔頭西源院の方丈を移築。世界遺産
 

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石庭 (方丈庭園)
「石のお庭を 眺めれば ちいさく広く 静まって 置かれた石の 数十五♪」
龍安寺といえば石庭。東西25m南北10mの空間に白砂を敷き詰め、15個の石が配置されています。ちょうど25mプールの大きさ。でも広く見えるのは
「奥に向かって 低くなる 遠近の 油土塀 古の人の知恵♪」
 

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仏殿・西の庭 京の冬の旅特別公開中
仏殿: 寛政9(1797)に焼失,昭和56(1981)に焼失前に近い形で復元された総檜造の建物。天井には日本画家・武藤彰が墨と金泥で描いた「下り龍」が仏殿を守っています。
西の庭: 仏殿西側に広がる丹羽は室町時代の庭を復元。細川勝元の木像を祀る細川廟が建っています。
 

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蹲踞
「吾 唯足る ことを知る 知足の蹲踞の四字 水をたたえて♪」
西の庭から方丈に戻ります。茶室にある蹲は水戸光圀公の寄進によるものと伝えられています。こちらは複製。本物は茶室蔵六庵(非公開)にあります。
 
 
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「春を待つ 侘助椿 葉音に 耳を 澄ませれば♪」
豊臣秀吉が称賛したとも伝えられる侘助椿。花が咲くのはもう少し先です。
「茶庭の垣の 菱の組み 苔の緑に 音が染む♪」
奥に見えるのが龍安寺独特のひし形の垣根、龍安寺
 
 
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鏡容池
「池の南に 来てみれば 水分石が 向き合って お池の水の 嵩をみる♪」
左下に見える2つの石が水分石。”みくまりいし”と読みます。
 
時折雪がちらつく中、龍安寺の歌を口ずさみながら歩くのもいいものです。ゆったりとした時間が過ごせました。
 
 
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龍安寺からきぬかけの路を歩いていくと、立命館大の手前に地層がむき出しになっています。海底のチャートにより形成された地層が何枚もの平行な縞模様になっています。約2億年以上も前の地殻変動で波状に隆起した褶曲地層の断面です。
 

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雪が舞うなか金閣寺までやってきました。2,5キロの道に何時間かかったでしょう。お寺さんはじっくり見ると時間がかかります。これでも結構端折っているのにね。
さて、金閣寺。時間はもう15時半をまわっています。この後ちょっと寄りたいところもあるし来たこともあるので、今日はここから洛中までバスで移動です。
 
 
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omo cafeごはんプレート(omo cafe
京町屋を再生したおしゃれなお店で晩御飯。お手軽な日替わりワンプレートをいただきました。
時折雪がちらつき、京都の冬はやはり寒いです。それではホテルに戻りましょう。