マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【駅ハイ】 秋の筑波山地域ジオパークを歩く  (2021.11.27-28) 2021.11.28(日)

f:id:madaonakumisan:20220129215753j:plain

上高津貝塚

上高津貝塚ふるさと歴史の広場

約4000~3000年前の縄文時代後期に作られた霞ヶ浦沿岸の最大規模の貝塚です。貝塚のある広場には、竪穴住居、掘立柱建物、墓、大型炉など当時の縄文ムラの様子が発掘調査の成果に基づいて復元されています。

 

土浦駅土浦市観光案内所)→ ①匂橋 → ②上高津貝塚ふるさと歴史の広場 → ③宍塚宿交差点 ④桜川 → ⑤旧水戸街道⑥亀城公園⑦まちかど蔵大徳 → 土浦駅駅(約11km)

 

 駅ハイのコースを見ていたら行きたくなって土浦まで足を延ばしてきました。最高のお散歩日和。最後の紅葉を楽しんできました。土浦駅の観光案内書で受付を済ませて出発です。

 

f:id:madaonakumisan:20220129220014j:plain

①匂橋 

桜川までやってきました。この橋は、昭和37年(1962)に架けられた人と自転車のみが通行可能な橋です。石の欄干は趣がありドラマや映画のロケ地にもなっています。桜の時期は川の堤防上を彩る桜が見事だそうです。橋を渡ります。

 

f:id:madaonakumisan:20220129220218j:plain

筑波山が見える。ここから見ると猫耳だねぇ

 

f:id:madaonakumisan:20220129220552j:plain

f:id:madaonakumisan:20220129220632j:plain

f:id:madaonakumisan:20220129220816j:plain

②上高津貝塚ふるさと歴史の広場 

縄文時代後・晩期に作られた霞ヶ浦沿岸の最大規模の貝塚で国の史跡指定を受けています。各種調査の成果をもとに復元整備を行い「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」として開館しました。 施設は国指定史跡上高津貝塚(4.4ha)と、隣接する考古資料館(0.5ha)から構成されています。

 

f:id:madaonakumisan:20220129220858j:plain

歴史の広場から地図をみて進もうとしたら、道が行き止まり。戻って資料館の方に聞いたら、公園の裏から出ればよかったのでした。その道は通称「鎌倉街道」。江戸時代末の絵図に、土浦藩巡検路として描かれていますが、鎌倉時代に栄えた般若寺に通じる道なので、御家人が通った鎌倉街道のひとつであった可能があるとか。風情のあるいい道です。

 

f:id:madaonakumisan:20220129221218j:plain

③宍塚宿交差点

宿とついていますが、ここに宿場があったのかどうかはよくわかりません。「宍塚」とは、江戸期よりみられる地名で、江戸時代は一時幕府領となったこともある土浦藩領の一部です。何でここがチェックポイントなんだろう。今回の地図には説明がないんだよね。24号線を進んでいきます。

 

f:id:madaonakumisan:20220129221458j:plain

ここからも筑波山です。筑波山地域はジオパークのひとつに認定されていて、今日歩いているところもジオパークの一部です。

 

f:id:madaonakumisan:20220129221607j:plain

④桜川

茨城県桜川市の鏡ヶ池を水源とし、茨城県の南西部を流れ霞ヶ浦流入する利根川水系一級河川です。桜川はもともと土浦の街の真ん中を流れていましたが、洪水を避けるため、大曲付近から現水路に切り替えられました。橋を渡って桜川沿いに進みます。

 

f:id:madaonakumisan:20220129221901j:plain

春は桜がきれいでしょうね。ここから土浦港までは5500mだって。

 

f:id:madaonakumisan:20220129221933j:plain

銭亀橋

水戸街道の桜川に架された橋で、慶長18年(1613)に開通。昔は木製の太鼓橋でした。

 

f:id:madaonakumisan:20220129222226j:plain

⑤旧水戸街道

水戸街道は、徳川御三家の一家である水戸徳川家の居城である水戸城の城下町と江戸とを結ぶ街道です。水戸徳川家は副将軍の格付けで江戸の定府が義務付けられていたため、基本的には参勤交代は行われませんでしたが、家臣の往来や、諸大名の参勤交代で利用されていました。茨城県の中でも主要な都市を結んでいるため、建て替えや道路の拡幅工事などで古い町並みが失われてきています。

 

f:id:madaonakumisan:20220129222601j:plain

南門の跡

松平信吉の時に設けられ、桝形、簀子橋とともに街道南口を守る重要な門でした。この先は枡形になっていました。

 

f:id:madaonakumisan:20220129222656j:plain

土浦市立博物館

亀城公園に隣接し土浦城⼆の丸跡にあります。土浦の歴史を原始から近代まで通史の形で紹介する常設展示室があります。

 

f:id:madaonakumisan:20220129222837j:plain

⑥亀城公園

室町時代後期に築かれたとされる、土浦城の本丸と二の丸の一部を整備した公園です。城塁が水に浮かぶ亀のように見えたことに由来するとされる土浦城の別名「亀城」から名付けられました。櫓門は本丸にある櫓門形式では現存するもので関東唯一のものです。

 

f:id:madaonakumisan:20220129222936j:plain

f:id:madaonakumisan:20220129223014j:plain

⑦まちかど蔵大徳 

水戸街道の土浦宿に残る蔵のひとつです。江戸時代末期に造られた見世蔵、袖蔵、元蔵、向蔵の4棟を改修し観光情報を提供する街のアンテナショップとして利用されています。ガイドの方がいらしたのでいろいろと内部の説明していただきました。床柱にザクロが使われていたり、天井板が畳を同じになっていたり、近江八景の透かし彫りや敷居の将棋駒だったりと見どころ満載。すごく遊び心のあるお部屋でした。

 

f:id:madaonakumisan:20220129223103j:plain

f:id:madaonakumisan:20220129223139j:plain

まちかど蔵「野村」

「大徳」の向かいにある蔵で観光案内、喫茶店があります。

歴史広場でコンビニ飯を食べたのですが、ちょっとお腹が減っていたので、レンコンカレーを頂きました。土浦市は日本一のレンコンの産地です。

 

f:id:madaonakumisan:20220129223244j:plain

矢口家住宅

この辺りの水戸街道沿いには古い建物が残っています。嘉永二年(1849)に建てられた店藏と袖藏、慶応年間に建てられた元藏です。

 

f:id:madaonakumisan:20220129223448j:plain

天ぷら ほたて

創業は1869年、100年以上の歴史を有するてんぷら屋。もとは問屋を兼ねた魚屋でした。明治期には「保立食堂」と呼ばれ、近くにあった魚河岸で働く人たちに食事を提供していたそうです。

 

f:id:madaonakumisan:20220129223538j:plain

桜橋跡

かつての桜橋の欄干と土浦の基点となった「土浦町道路元標」がありました。

 

f:id:madaonakumisan:20220129223651j:plain

川口ショッピングモール505

敷地の長さが505mあることから命名されたというモールをたどって駅に向かいます。・・・コロナのせいなのか、空き店舗が目立ちます。

 

f:id:madaonakumisan:20220129223933j:plain

本日の戦利品を手に土浦駅から常磐線で帰ります。列車からは富士山がきれいに見えました。

 

 土浦まで行ってきました。続日本100名城のスタンプもゲット。土浦は通り過ぎるだけでしたが、いいところですね。古い町並みも残っていて見どころがたくさん。今度は水戸街道を歩いてお邪魔したいと思います。