ウシュマル遺跡
ウシュマルは、メキシコ、ユカタン州にある古典期後期から後古典期のマヤ文明の遺跡で、メリダの南方78kmの地点にある。ウシュマルという地名は、オシュ=マハアルと発音されたと考えられ、マヤ語の研究者の間でその由来について論争があるが、コロンブス到着以前の古いマヤ語の名称と考えられ、「三度にわたって建てられた町」という意味である。大多数の建造物は、だいたい紀元700年から1100年の間に建てられたものである。(Wikipediaより)
9つの世界遺産をめぐるメキシコハイライト7日間 2019.11.17~11.23
4日目:11/20(水)
チテェン・イツァ → ウシュマル遺跡 → カバー遺跡 → サンタエレナ村 → メリダ空港 --(2時間15分)--→ メキシコシティ空港 (メキシコシティ泊)
ホテルを出発するとすぐに交通規制にかかってしまいバスは動けなくなってしまいまいした。11月20日はメキシコ革命記念日。あちこちでお祭りが開かれているのです。
メキシコ革命とは、35年間に及んだポリフィリオ・ディアス大統領の独裁体制(1877‐1911)打倒を目ざして1910年11月20日フランシスコ・マデロによる武装蜂起が始まり、革命憲法が制定された17年に終結したとされる革命のこと。しかしその後も暗殺や反乱は続いてカルデナス大統領(1934‐40)によりやっと革命は終わったとされています。スペイン人の侵略からはじまり、メキシコはつらい歴史を背負っているんですね。
車窓から見えるのはお墓かな。とてもカラフルです。
ウシュマル遺跡 (世界遺産6:1996年登録)
魔法使いのピラミッド。魔法使いの息子が一日で作り上げたとか、小人が作ったとかいうピラミッド。高さは36mあり、118段の階段があります。
そしてこのピラミッドの魅力は何といっても、この丸み。ほかの遺跡では見たことがありません。とてもきれいです。
こちらが正面かな
尼僧院
もちろん尼さんが住んでいたわけではありません。支配者の宮殿と考えれれています。プウク様式の建物です。屋根が平たく、長い建築の壁に何枚もの石を彫刻してモザイクのように装飾してあります。
雨の神チャーク
こちらはククルカン。角度を変えてみると、ククルカンの口の中には顔が・・
こちらの遺跡にもたくさんのイグアナがいました。
球技場
亀の家
亀も雨に関係するようです。
総督の宮殿
こちらはプウク様式の代表的な建物です。用途はよくわかっていません。双頭のジャガーがとてもいい感じ。そしてこの宮殿の裏には大ピラミッドがあるはず。でも今回は行きませんでした。見ることもできませんでした。だいぶ残念です。
遺跡の近くでおひるごはん。この白身のお魚は、ピラニア。とっても美味しかったです。
カバー遺跡 コズ・ホープ
ウシュマルから20kmほど離れたところにあるカバー遺跡は、ウシュマルの姉妹都市といわれています。こちらの遺跡はチャークで埋め尽くされています。すごい数です。雨(水)への執念を感じます。
こちらはコズ・ホープの裏側
大神殿
こじんまりとしたカバー遺跡ですが、実は道の反対側、奥に山のように見えるのも遺跡です。ずいぶん大きいです。今後発掘されるかどうかはわかりませんが、とても大きな遺跡だったのかもしれません。
セイバの木
世界樹ともいわれるセイバの木。まっすぐ伸びるセイバの木。その枝は天界まで、その根は地下界まで伸びて、その緑のセイバの木が生えているところが世界の中心だと考えられています。
マヤ人の家(サンタエレナ村)
マヤの末裔の住宅を見学。ハンモックがベッドになります。実際に寝ている様子を見せてくれました。自由自在にハンモックを操っていてとても気持ちよさそうでした。そしてご主人が実演してくれたのは、エネケンというリュウゼツラン科の葉っぱの繊維を取り出しているところ。見学を終えメリダ空港へと向かいます。
ウシュマルはとてもきれいな遺跡です。丸いピラミッドがとてもすてき。チテェン・イツァのような血生臭さは感じられないのですが、トルテカの影響を受けているし、球戯場があるってことはやっぱり生贄が捧げられていたんでしょうね。これは文化だからしょうがないのだろうけど。それにしても大ピラミッドは見たかったなぁ。登りたかったなぁ。上からの景色は絶景だそうです。
この日の予定は黄色い町イサマルに行ってからウシュマルに行く予定でした。でも、お祭りでバスが全然動かず、飛行機の時間があるのでイサマルはカット。ウシュマル遺跡とカバー遺跡を見学後、マヤのお宅にお邪魔してメリダの空港へ。メキシコシティのホテルに着いたのはもう10時もとっくに過ぎたころ。お部屋に冷たくなったお弁当が用意してありました。なんだかさみしい夕飯でした。国内線移動があると時間がかかりますね。