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【続・日本100名城 その6】  157  八幡山城

157 八幡山城 (滋賀県近江八幡市)  別名:八幡城 近江八幡城

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☆データ☆   (続日本100名城ガイドブックより)
 ・城地種類 山城
 ・築城      天正13年(1585)
 ・築城者 羽柴秀次
 ・主要城主 羽柴氏 京極氏
(登城日: 2018年12月10日)

 
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八幡山城
 豊臣秀吉の甥 秀次の居城として、標高271mの八幡山の山頂に築かれました。秀次は八幡掘を掘削し湖上交通を整え、楽市楽座制を取り入れて近江八幡商業都市として発展させました。その後秀次は清州城へ移封となり、京極高次が入城しましたが、文禄4年(1595)廃城となりました。現在山頂には、秀吉の養子となり関白職を継いだものの、秀頼の誕生により謀反の罪を着せられ自害した秀次の菩提寺が移設されています。


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山頂駅 案内図
ロープ-ウェイに乗らずに歩いて山頂に到着。朝寒かったのでダウンを着て登ったら汗びっしょり。途中で脱いでしまいました。昨日よりもちょっと暖かいくらいだけど、歩くのと登山では運動量が違うんだねぇ。駅の写真は撮り忘れたので案内図。切符売り場のすぐ脇に続百名城スタンプがあります。駅から山頂を一周できます。

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駅のすぐ前にもう石垣があります。二の丸跡の石垣です。奥に見える屋根はお願い地蔵。上には展望台があります。

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本丸石垣

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西の丸跡

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西の丸跡から
琵琶湖を挟んで比良山系の山々が見えます。昔はすぐ際まで湖が迫っていました。真ん中に見える低い山は岡山

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北の丸に向かいます。

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このあたりの石垣いいですね

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北の丸跡

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北の丸跡から
西の湖や安土城址、繖山(観音寺山)が見えます。

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北の丸石垣

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本山村雲御所瑞龍寺門跡
本丸跡には、羽柴(豊臣)秀次の菩提を弔うため、文禄5年(1596)に生母の瑞龍院日秀尼公が京都の村雲に創設した門跡寺院が、昭和36年(1961) 八幡山に移築されています。

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門跡寺院前の階段は戦国の階段。枡形になっています。

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恋人の聖地になっているようで・・・・

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ネコがたくさんいます。

 石垣は残っていますが、徹底的に破壊されたし、お寺だし、展望を楽しむところで恋人の聖地だし、城跡という感じはあまりしません。でも八幡山で出会った方たちは、皆、秀次のことが大好きなようでした。山頂に登る途中や、ハイキング中に出会った方とお話しすると、ここが秀次のお城だというのが自慢のようです。いろんな逸話が残っていますが、秀次は優秀だったのではないのでしょうか。秀吉がうまく秀次を活かして、秀頼にバトンタッチができていたら、豊臣の世が続いていたかもしれませんね。まぁ本当のところはわかりませんが、秀次の自害、三条河原での悲惨な出来事を考えれば、豊臣の世はその時点で終わりに向かったとしか思えません。