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【日本100名城 その40】 15 足利氏館

15 足利氏館(栃木県足利市)  

イメージ 1 ☆データ☆   (日本100名城ガイドブックより)

  ・城地種類 平城
  ・築城   平安時代末期~鎌倉時代初期
  ・築城者  足利義兼
  ・主要城主 源氏、足利氏

(登城日: 2018年11月17日)

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足利氏館 (鑁阿寺 楼門)
鎌倉時代武家屋敷のもっとも一般的な構えである、水掘と土塁に囲まれた「方形館」の形状がよく残っています。寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあります。足利氏二代目義兼が、建久7年(1196) 館の中に持仏堂を立て、守り本尊の大日如来を祀ったのが、現在に続く鑁阿寺の始まりといわれています。その後、三代目の足利義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。

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楼門(山門)(県指定文化財
楼門は、永禄七年(1564) 足利幕府十三代将軍足利義輝の再建によるもので、太鼓橋は江戸時代後期 安政年間(1854-1859)の再建、仁王像は桃山時代の作です。

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本堂(国宝)
1127年の火災で焼失したものを足利尊氏の父、貞氏が正安元年(1299)に再建。御本尊は胎蔵内大日如来

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鐘楼
建久7年(1196)建立

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大銀杏(天然記念物)
樹齢約650年、周囲約10mの立派な銀杏です。

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一切経堂(国指定重文)
寺伝では開祖、足利義兼の創建となっていますが、現存の経堂は1407年に関東管領足利満兼により再建されたものです。

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多宝塔(県指定文化財
元禄五年(1692)徳川五代将軍の母、桂昌院尼公が再建したもので、金剛界大日如来勢至菩薩が祀られています。

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中御堂(不動堂)
不動明王は千葉県成田山より勧請されたものです。

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御霊屋(県指定文化財
足利大権現・赤御堂とも云われます。創建は鎌倉時代といわれますが、現在の建物は徳川11代将軍家斉の寄進により再建された本殿に源氏の祖を祀り、拝殿に足利15代将軍像を祀っています。境内整備のため本来の位置より北へ移動されています。

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大酉堂

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校倉
なぜか今は足利七福神の大黒天が祀られています。

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蛭子堂(時姫堂・智願寺殿)
足利義兼の妻、北条時子(北条政子の妹)を祀っています。本尊は栗のいがをもつ蛭子女尊で、栗のいがより栗が軽くもたげるように安産のききめがあると信仰を集めています。

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北門(薬医門)
鎌倉時代足利尊氏は十二の支院(塔頭十二坊)を建て、その筆頭塔頭となった千手院の門で弘化二年(1845)の再建といわれています。

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堀 土塁
足利氏館は堀と土塁でかこまれています。

ここは、お城というよりもお寺です。鑁阿寺です。すっかりお寺の建物紹介のようになってしまいました。七五三の時期と相まって境内は晴着を着た家族がたくさん訪れていました。周りの堀と土塁をぐるっとまわって大きさを確認したら、お寺探訪と足利学校見学を楽しむ感じです。
百名城スタンプは本堂右側の授与所前にあります。

---☆☆
☆ おまけ ①
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史跡足利学校
日本最古の学校といわれる足利学校の創建については、奈良時代国学の遺制説、平安時代小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがあります。宣教師ザビエルは「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介しました。江戸時代に入り平和が続くようになると易学や兵学など実践的な学問は好まれなくなり次第に衰退。明治五年(1872)に廃校となりました。2015年に日本遺産に認定されています。


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方丈

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曝書
古書の虫干しをしていました。貴重な本がこうして後世に伝えられていくのですね。

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足利学校も堀に囲まれていました。

☆ おまけ ②
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大日茶屋
鑁阿寺境内にある茶屋で足利名物、ポテト入り焼きそばと足利シュウマイをいただきました。玉ねぎと片栗粉だけを練って蒸かした肉の入っていないシュウマイは、不思議な味です。