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【日本100名城 その32】  5  根城

5 根城 (青森県八戸市)  
 
 
 
イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平城
 

 ・築城     建武元年(1334) 南部師行

 
 ・主要城主 南部氏
 
(登城日: 201752日)
 
 

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根城(本丸)
 創城は鎌倉時代にまでさかのぼり、南北朝時代国司代に任じられた南部師行が城として修築し、陸奥南朝方の一大拠点となっていました。秀吉の諸城破却令により堀などは壊され、居館などは残されましたが、その後廃城となりました。近年発掘調査が行われ、平成6年に史跡公園となりました。中世の城が復元された初の事例となります。


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根城の広場 入口


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中館跡


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堀切
保存のため埋め戻されているので浅く見えますが、実際はもっと深いそうです。

 

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主殿(本丸)
この先が有料区画となります


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奥御殿(本丸)


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納屋(本丸)


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主殿(本丸)
このころの東北の技術では3間までの建物しか建てられなかったそうです。


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主殿・広間
正月十一日の儀式の様子 上下の隔てがほどんどなく、殿さまも家臣もみんな同じように並んでいるのが新鮮に感じます。


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根城模型


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南部師行公像
 
 
 東北の歴史はあまり詳しくなくてボランティアの方の説明で初めて聞くことばかりでした。南部というと南部鉄器や南部せんべいも含めて岩手県のイメージ。八戸のイメージとは結びつかなかったのですが、それもそのはず。八戸に拠点を置いていた根城南部氏は、盛岡南部藩の一部となり遠野へ領地替えになっていたのでした。地元でもここが整備されるまでは知らない人が多かったんだって。
 南部氏は甲斐国(現在の山梨県南部町・身延町)に拠点を置いた有力な鎌倉御家人で、南北朝時代に奥州に拠点を移しました。根城の広場に植えられているしだれ桜は、南部家初代実長が創建した日蓮宗の総本山身延山久遠寺から分けられたものだそうです。そして根城にも女城主がいたそう。夫と子が急逝したため急遽21代を継いだ南部直政の妻祢々(清心尼)盛岡藩主に無理難題を持ちかけられても、遠野に移封させられても、国よりも民のため、一度も争うことなく治めたというのは素晴らしいことだと思う。どこかの政治家にも見習ってほしいものです。