☆データ☆ (100名城ガイドブックより)
・城地種類 平山城
・築城 文禄・慶長年間(1590年間) 浅野長政・幸長
・主要城主 加藤氏、浅野氏、徳川氏、柳沢氏
(登城日: 2017年4月15日)
武田氏滅亡後、豊臣政権の重臣朝の長政らによって武田氏館に代わる城として築城されました。関ヶ原の戦い後は、徳川一門によって支配されました。徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が徳川一門以外で初の城主となって入城した際に、城の拡張と修築が行われ城下も整備されました。吉保の子吉里が大和郡山に転封した後は、幕府の直轄地となりました。城は独立丘陵上に曲輪群が形成され、東日本最大級の野面積の高石垣や堀で囲まれています。
稲荷櫓
2004年(平成16)に絵図や古文書などを基に、江戸時代初期(寛文4年/1664)の建築当初の姿で復元されました。
水堀
鉄門
2013年(平成25)復元整備
銅門跡
礎石がのこっています。
本丸櫓跡
本丸
天守台
天守台からの眺め(西)
天守台からの眺め(南)
毛無山や竜ヶ岳、そして富士山も見えるはずです・・・
天守からの眺め(東)
天守からの眺め(北)
石垣
東側の石垣は高さ17mもあり、この時代の石垣としては非常に高いものです。
山手御門
2007年(平成19)に復元完成
山手御門からみた舞鶴城公園。線路で分断されています・・・
富士山と甲府城
山手御門の近くに建てられている看板には、天守の姿も。再建はなかなか難しいだろうね。お金もかかるし、そして木造で作るとなると木材がもう集まらないっていうもの。
ボランティアの方と話していたら、武田信玄が建てた城だと思っている人がたくさんいるそうです。甲府=信玄のイメージが強いものね。でもこの城は、武田氏が滅亡後に豊臣秀吉の命により築城されたもの。なんて書いている本人もつい数年前までは甲府城の存在すら知りませんでした。甲府城ゆかり人物といえば、柳沢吉保。五代将軍徳川綱吉の側用人です。何となく悪役イメージですが、ちょっと調べてみるといろいろ面白い人物のようです。それにしても城の真ん中に線路を通しちゃうというのはビックリ。それだけその頃は城の存在は軽視というか、新政府にとっては否定すべき存在だったってことで。今になってみればなんてもったいないこと。それぞれの価値観を大切にしながら武力でなく対話でものごとが進むといいと思うけど、それは今も変わってないようで、もっと歴史に学んでいかないとなりません。