マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【中山道 7日目】 15.安中宿 → 16.松井田宿    2016.9.25 (日)

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上毛三山の一つに数えられ、日本三奇勝の1つです。妙義山は、白雲山、金洞山、金鶏山の三峰からなり、山容は非常に険しく、石門群、大砲岩等、奇岩怪石が林立しています。本日の街道歩きのお供です。

安中駅15.安中宿 → 16.松井田宿横川駅  約19km


 
暑さ寒さも彼岸までというけど、今年は少し涼しくなったと思ったらお彼岸になってまた暑さがぶり返してきました。日曜日は久しぶりの晴れ間が出たので街道歩きをしてきました。それにしても9月も終わろうというのに連日30度前後の毎日って・・・・お天気はどうなってるんでしょう。


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本日は信越本線安中駅からスタート。
駅正面の斜面には要塞のような東邦亜鉛の工場がでーんと目を引きます。ラピュタのモデルとして工場萌えには大人気だそうですが、カドミウム公害の歴史も覚えておきたいところ。


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久芳橋で碓氷川を渡ります。
正面左手には妙義山、右手には浅間山が見えて気持ちのいい街道歩きとなりそうです。歩道橋のところで国道と分かれて県道へと入ります。



15.安中宿
碓氷川と九十九川に挟まれた河岸段丘の高台に安中氏が築いた安中城は、上杉、武田 、北条の争奪の的となる要害の地でした。元和元年(1615)井伊直政の子直勝が三万石の安中城主となり町並みを整えて安中宿を開きました。藩士たちの心身鍛錬のために始めた「安政遠足」は日本のマラソンの起源とされています。 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数64軒、うち本陣1脇本陣2、旅籠17軒、人口348人、町並344


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下木戸跡
熊野神社に入る参道の辺りが安中宿江戸口


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熊野神社                                             
安中藩の総鎮守。樹齢約千年の大ケヤキ安中市の天然記念物に指定されています。


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碓氷郡役所跡
街道からひとつ裏道に入ります。こちらは明治11(1878)に設置され群馬県内で唯一残る郡役所の建物です。


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安中教会
礼拝堂は新島襄召天30周年を記念して建てられたました。予約しないと見学はできないそう。


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安中藩郡奉行役宅
江戸時代後期の建築で藩主の側近が住んでいたと伝えられています。その後奉行の猪狩幾右衛門懐忠が入り猪狩家が代々住んでいました。安中市重要文化財に指定され、復元修理が行われて一般公開されています。群馬では珍しい曲がり家の構造になっています。


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ひな祭りの時期には飾られるという江戸時代のおひな様を見せていただきました。


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武家長屋
奉行所宅の少し先には、長屋が復元されています。


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便覧舎跡
明治5(1872)有田屋当主により建てられた日本初の私設図書館跡。


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有田屋
天保3(1832)創業の醤油醸造の老舗。余りに暑いので、有田屋で醤油ソフトクリームをいただきま~す。お団子もあるよ。


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安中宿上木戸跡(京口
この先を曲がったところには新島襄の旧宅もあります。大河ドラマのときにはとても大勢の人が訪れていたんだって。


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なんがだか痛々しい姿につい目が・・・


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秋ですね~。
景色だけ見るとね・・・この日の気温はもう少しで30℃。暑すぎます


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原市の杉並木
天保年間には700本を超え、日光杉並木と並び称されていたそうです。


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杉並木の間の貯水タンクには
安政遠足(あんせいとおあし)」の絵が描かれています。


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原市村戸長役場跡
間の宿の原市には落ち着いた古い街並みが残っています。


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茶屋跡・明治天皇原市御小休跡
荒れ放題のような、整備中のような。きれいになるといいのにね。


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松井田宿まであと1.9km
奥に見えるコンビニでひと休み。松井田宿でお昼でもと思っていたのですが、予定よりも時間がかかってしまったので、お腹が空いた旅人は今日もまたコンビニ飯となりました。


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コンビニの脇から下り旧道へ。実りの秋です。


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地下道をくぐると目の前には妙義山の絶景



16.松井田宿
信州各藩から集まる年貢米の中継地として賑わい「米宿」とも呼ばれていました。碓氷関所を控えて日のあるうちに面倒な関所を越えておきたいと通過してしまう大名や旅人が多かった。「雨が降りゃこそ松井田泊まり降らじゃ越しましょ坂本へ」 中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数252軒、うち本陣2脇本陣2、旅籠14軒、人口1009


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下木戸跡
下町の交差点の辺りが江戸口


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かんべや
妙義登山口の古看板 妙義道の追分


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松井田宿案内図
ベンチとパンフレットもあったけど、パンフレットは雨でグチャグチャだったり、ちょっと残念な感じがしました。


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下木戸跡
本照寺入口の辺りが松井田宿京口


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新堀金井家


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補蛇寺
北条氏重臣松井田城主大導寺政繁の菩提寺。境内は松井田城の一部でした。


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五料村高札場跡
後で確認をしたら、奥の踏切のところに五料茶屋本陣があったらしい。復元されていて一般公開もしているとのこと。見逃してしまいました。


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坂本宿まで5.5km
道標を見つけると気合が入ります。


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夜泣地蔵・茶釜石
馬方が荷のバランスを取るために地蔵の頭を利用し、深谷で用が済むと捨ててしまった。夜毎「五料恋しや」と泣くのを不憫に思い五料に届けたという話が伝わる夜泣地蔵と、叩くと茶釜のような金属音がするという茶釜石。叩いてみたけど・・・普通の石の音だよ。


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実りの秋


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松井田を過ぎたあたりから信越本線の踏切を何回も渡ります。写真の真ん中あたりにあるのが、御所平踏切。「要注意。危険な場合は高墓踏切を渡る。」と本に書いてある。なんだろうと思いながら上り線の踏切を渡ったら、下り線に踏切が見当たらない。渡ったところに鉄っちゃんがいたので聞いても渡れないというので、引き返して碓氷神社先の高墓踏切を渡りました。本を書いた人は線路を渡っちゃったのかなぁ。危ないよ~


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百合若大臣の足跡石
矢を放って妙義山に大穴を開けたという力持ちの足跡だとか。


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下横川で踏切を渡ると、SLが走るというので鉄ちゃんがズラーッと並んでいました。ちょっと待っていたら来たのはEL。SLじゃないじゃんと思ったら、後ろに引いていたのでした。あわてて撮ったSLの写真はアングル悪っ。だからここは空いていたのか。そういえば、横川駅には転車台がなかったね。後ろ向きに進むSLも面白い。


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看板が見えてきました。横川駅に到着です。今日はここで終了。


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ここは釜めしでしょ。
とも思ったのですが、横川駅で食べたのは駅そば。天ぷらは売り切れちゃったんだって。荻野屋のおそばは自家製だからおいしいんだよ。いっぱい汗をかいたから塩分補給です。


ずっと雨続きでしたが、やっと晴れた日曜日。距離は大したことなかったのに、とにかく蒸し暑くてすごーーーく疲れました。帰りの電車では、もうぐっすり。いや~よく寝ました。山がとても近くなって江戸からだいぶ来たんだなぁとしみじみ。妙義山を眺めながらの街道歩きはとても気持ちがいい。暑かったけど!さて、次回はいよいよ難所の碓氷峠越えです。