マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

岩殿山(岩殿城址)    2016.4.24(日)

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岩殿山(岩殿城址
9世紀の末、天台宗岩殿山円通寺として開創されたと伝えられています。13世紀に入ると、天台系聖護院末の修験道のセンターとして栄えました。16世紀に入り戦国大名領国制が成立する中で、武田、小山田両氏の支配を受け岩殿山は、岩殿城として、武蔵、相模に備える戦略上の拠点とされました。天正10(1582) 武田、小山田両氏が滅亡後は、徳川氏により利用されましたが、17世紀初めには廃城となりました。


大月駅岩殿山登山口 → 丸山公園 → 岩殿展望台 → 岩殿山634m)→ 兜岩 → 稚児落とし → 登山口 → 大月駅  歩行約4.5km


 大河ドラマ真田丸の序盤で出てきた岩殿城。初心者向けの岩場、鎖場の練習ができるというコースがあったので参加してきました。天気予報では朝のうちに雨は上がるようでしたが、止む気配なし。仕方がないので雨具を着ての出発です。
 

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丸山公園
岩殿山駐車場から登山開始です。丸山山頂には岩殿山ふれあいの館があり、岩殿城の歴史を展示しています。この後トイレはないのでしっかり済ませておきます。


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丸山山頂は、関東富士見百景にも選ばれているのですが・・・・・


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岩殿城 揚城戸跡
第二のせき門と呼ばれ巨大な自然石を利用して城門を築いていました。


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岩殿山展望台(南物見台)
案内板に小さく、「山頂この先」 って書いてある。山頂はここじゃないけど、東屋でひと休み。山頂の高さはスカイツリーと同じ634m


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大月駅方面(西)を眺めてみると、こんな感じ。晴れていれば富士山も見えるはずなんだけどなぁ


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分岐まで戻って稚児落としへと向かいます。この道は小山田氏一族の落城の道でもあります。


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山道を歩いていくと岩場・鎖場が現れました。初めての経験で、三点支持を意識してガイドさんのアドバイスを受け何とかクリア。難しいなぁ~


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兜岩
しばらく歩くとまた岩場・鎖場。今度はもっと難易度が高いぞ。やっぱり苦手だなぁ~。個人で行ってたらきっと巻道を歩いていただろうなぁ


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霧がなければ、岩の向こうには稚児落としの断崖絶壁が見えるはず


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稚児落とし
戦国時代、小山田氏が武田を裏切ったことにより小山田信茂切腹、岩殿城は織田勢に包囲され残された婦女子は脱出を図ったが、途中で赤子が泣き出したため「稚児落とし」から投げ捨てたといわれています。投げ落としたのは母親だったり従者だったりと複数のエピソードが残っています。この後は雨上がりの滑りやすい道を下って浅利登山口に向かいます。


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桔梗信玄ソフト
登山口から舗装道路を50分程歩いて大月駅に戻ってきました。駅前で食べたご褒美は、ソフトクリームと信玄餅のおいしいコラボ



 予報は外れて結局一日雨が降ったり止んだりの一日でした。初心者向けの鎖場とはいえ、私には難度高かったぁ。鎖場で私たちは時間がかかっていたので、後から来た人たちに先に行ってもらっていたのだけど、高校登山部のグループの新入生たちは、写真を撮ったり、おしゃべりしながら間も開けずに登ったりと見ているだけでハラハラもの。怖いもの知らずとはいえ事故がなくてよかった。翌日は二の腕と太ももにきました。あまり無理しないようにしなくちゃね。
それにしても、赤子を連れての逃避行。鎖場ではなく巻道を通ったと思われるけど、きつかったろうに。攻めにくい岩城なので3か月以上籠城できたら本能寺の変が起こって事態が変わったかもしれないし、武田軍が頑張っていたら本能寺の変も起こらなかったかもしれないから、結局は滅ぼされたかもしれないし。とはいえ、武田氏につかなかったことで、この地が戦場にならなかったのは事実。小山田氏の一般に伝わる話と地元に伝わる話は、いろいろと違うけど、大月ではヒーローになっているようです。