マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

お城めぐり雑記 ・ 熊本   2015.12.27(日)

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桃山様式を代表する優美な回遊式庭園です。細川家ゆかりの御茶屋寛永13(1636)に開園され、その後、三代、約80年をかけて完成し、陶淵明の詩に由来する「成趣園」と命名されました。東海道五十三次をあしらったという庭園には、ひときわ目立つ富士山です。


 お正月休み。今年の勤務は1226日の土曜日が出勤となって27日からお休み。28日までお仕事の人が多いから27日出発だと旅行代金が安くいける。ということで行きたかった熊本城を見に行くことにしました。ルートだけは決めたものの、年末が思っていたよりも忙しくて、下調べ不十分なままの出発となってしまいました。まぁいつものことではあります。


1日目:羽田空港 → 熊本空港 → 水前寺公園 → 熊本城 → 熊本市()

 羽田から飛行機で熊本へ。乗ってしまえば2時間ほどで着いちゃいます。飛行機はやっぱり早いなぁ。強い向かい風のため到着は15分ほど遅れたものの、市内へのバスは待っていてくれたので乗る事が出来ました。熊本は晴れて暖かく気持ちいい青空。いい旅になりそうです。


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水前寺公園で途中下車。参道では今や全国区となった、くまモンがお出迎え。


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水がとてもきれい。近くの川もお庭の池も。なんと熊本市上水道はすべて地下水でまかなわれているとか。なんて羨ましいこと。


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出水神社
細川家歴代藩主を祀る出水神社は、西南戦争後の明治11(1878)、かつての家臣たちにより水前寺成趣園内に建てられました。


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市電に乗って熊本城へ向かいます。市電いいなぁ。夜はライトアップもされていました。


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最近はお城に行くと武将隊の面々が出迎えてくれるようになりました。この日は天守閣前に武将隊の中から4名が出陣。左から日本槍柱七本の一人・飯田覚兵衛、加藤清正の娘・あま姫、大河ドラマにもなった軍師・黒田官兵衛、九州の雄・立花宗茂
黒田官兵衛以外知りませんでした。調べてみると「飯田覚兵衛(1562-1632)」は秀吉によって槍働きを称賛されたという槍の名手。「あま姫」は清正に伴われて朝鮮に渡った母が、朝鮮より撤退途中の島で出産、海女がとりあげたので「あま」と名付けられたといわれています。9歳で徳川家重臣の館林城主・榊原康勝に嫁いだ際の輿入れは、美しく着飾った腰元が100人も付き添う絢爛豪華なものでした。そして一番興味をひかれたのが「立花宗茂(1567-1643)」大友家の重臣・高橋鎮種の長男として生まれ、立花道雪の跡継ぎとして養子に迎えられました。その後、秀吉配下となり武勲をあげ、19歳で柳川13万石の大名となります。小田原征伐時には秀吉が、「東の本多忠勝、西の立花宗茂、東西無双」と評したといわれています。関ヶ原で西軍についた宗茂ですが、加藤清正らの説得で降伏し、柳川藩没収となり熊本城の客分として過ごします。後に徳川秀忠に迎えられ、旧領である柳川藩10万石の藩主として完全復帰しました。奥方の誾千代もまた興味深い。大河ドラマとかにならないかなぁ。


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熊本城稲荷神社
手水場がキツネになってます。


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熊本城須戸口門まで来るとパトカーが停まってお巡りさんがいっぱい。なんだろうと聞いてみたら、猫がお堀に落ちたので助けているとか。平和だね~


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通町筋
下通りアーケードをぶらぶらしながらホテルに向かいます。きれいですごく賑やかな商店街です。


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熊本の郷土食というので食べてみました。ちゃんぽんの麺が春雨になった感じ。美味しかったけど、これだけじゃお腹はちょっと物足りない。小腹がすいたら、いきなり団子だね。


 熊本城は存在感が圧倒的。市電に乗って熊本城が見えてくるとワクワクしました。天守が焼失した時に、城下町の人達が涙したというのもわかる気がする。完全復元したらすごいだろうなぁ。そして観光客も多いです。日本人だけじゃくて海外からも大勢来ていました。商店街は活気があるし、市内は市電もバスもあって移動も楽だし、暮らしやすそうないい街です。それになんといっても水がおいしい。あちこちに水飲み場があります。