宿場町としての歴史を大切にしている千住宿を後にして荒川を渡ります
八彦尊道碑/石不動尊
御成道松並木跡
鷲神社
真っ赤な生鮮市場の看板とセブンイレブンが見えてきたら、まっすぐな道も終わり。その先の信号で右へと曲がります
毛長川橋前の交差点で高架をくぐり49号線に合流して毛長川を渡れば埼玉県に入ります
力石(瀬崎浅間神社)
浅間神社の境内には力石が保存されています。昔は腕力が仕事の上で大いに役立ったので力持ちが尊重され、米俵一俵(約60キロ)を担ぐことが大人の仲間入りの条件でだったそう。48貫目の力石に名前が書いてあるってことは、180キロを持ち上げたってこと!力持ちだ~
火あぶり地蔵尊
千住宿に住んでいた母親と娘の悲話が伝えられています。父親が多額の借金を残してこの世を去ったため、瀬崎の大尽のもとに奉公に出た娘は一生懸命働いて借金を返していました。何年かして母親が倒れたという知らせを聞き、主人に暇をもらえるよう嘆願するも聞き入れられず、思い余った娘が大尽の家に火をつけてしまいました。娘は捕らえられ、放火の大罪を犯した娘はこの地で火あぶりの刑に処されてしまったという
草加宿
草加宿は慶長11年(1606)、江戸幕府の命を受け大川図書という人物が中止となり、茅野を開き沼を埋め立て、それまで大きく東に迂回していた日光街道をまっすぐにする新道を開き、その後寛永7年(1930)千住・越ケ谷の間の宿として草加宿を設けたことに始まりました
藤城家住宅
清水本陣跡 大川本陣跡
町のあちこちにある案内板が草加宿のことを教えてくれます。草加といえば「おせんべい」。あちこちにおせんべい屋さんを見かけます。おせんべい発祥の地が草加だって知っていました? エピソードの一つ「茶屋のおせんさんがつくる団子は、おいしいと旅人に大評判でした。ある日通りがかりのお侍に、その団子をつぶして天日で乾かして焼餅として売ってはどうか? と言われ、お仙さんはさっそく作ってみました。すると、たちまち話題になり草加の名物になったというわけです」
草加宿神明庵
古民家を回収した無料休憩所です。ボランティアの方々から楽しいお話を聞けます。2階はギャラリーになっていて市民の方もいらしてました。そういえば、千住宿の案内所でコーヒー券を配っていたんだって。千住宿のパンフレットはもらったけどコーヒー券はもらってない。っていったらせっかくここまで来たんだからってコーヒーを入れてくれました。うれしい!
矢立橋 草加松原
「行く春や鳥啼き魚の目は泪、これを矢立の初めとして・・・・」
川の反対側には広場もあって、ここは市民の憩いの場だね
百代橋 草加松原
「月日は百代の過客にして・・・」
自動車道を抜けると、奥の細道をイメージしたタイル画がでむかえてくれます
自動車道から2つ目の橋で綾瀬川を渡ります。一つ目の橋の欄干にはカブトムシ? ここは横断歩道がなくて渡りずらい。安全第一でちょっと迂回して信号で渡りました
蒲生大橋を渡ります。橋の向こうのこんもりとした森が一里塚
蒲生一里塚(5里目)
埼玉県内日光街道筋に現存する唯一の一里塚
ここまでは順調!一回も道に迷わずにいいペースでやってきました。が・・・・・ここで道迷い発生。本当は綾瀬川と出羽堀の間の道を歩いて国道49号線に合流しなければならないのです。しかし、ケチってモノクロ縮小コピーの地図をもってきていたので堀と川の区別がよくわからず、川と堀を一緒のものと勘違いして道なりに歩いて行ってしまったのでした。なかなか合流しないなぁと思いながら歩いていくと大きな交差点。お寺も無いしおかしいと思って交差点を見ると「蒲生三丁目」・・って何処?しょうがないので一里塚まで戻る。どうも川と堀の間を行くらしい。というわけで写真は正しい道を少し進んで振り返ったところ。だいぶ時間と体力のロスでした・・・
清蔵院
立派な冠木門。この先の交差点「蒲生本町」で49号線に合流。今度は間違いなし
真っ直ぐ歩いて今日はここで終了。東武スカイツリーラインとJR武蔵野線が交わる駅。どっちを選んでも帰りが楽そうと思ったけど、JRは京浜東北線で事故があったとかで遅れや運休の案内。東武スカイツリーラインで帰ることにしました。今はいろんな線が乗り入れをしているんだね。どれに乗ったら一番早いのか迷います
5月とはいえもう夏のよう。暑かったぁ!それでも湿気がないのはありがたい。ペットボトルは3本目。これからは熱中症と紫外線に要注意です。そしてなんといっても陽が伸びたのはうれしい。迷子になってもまだ明るい!って威張ることじゃないけど安心して歩けます