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【日本100名城 その9】  14 水戸城

14 水戸城 (茨城県水戸市)  別名:馬場城
 
 
 
 
イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平山城
 
 ・築城      健保2年(1214)ころ 馬場資幹
文禄2年(1620) 佐竹義宣
寛永2年(1625) 徳川頼房
 
 ・主要城主 馬場氏、江戸氏、佐竹氏、武田氏、徳川氏
 

(登城日: 2015315日)




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三の丸に建つ弘道館は、水戸藩第九代藩主徳川斉昭天保12(1841)藩士とその指定の教育の為に設立した藩校です。百名城スタンプは弘道館の受付に置いてあります。
 

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大手門跡・大手橋
大手門は佐竹義宣が慶長6(1601)にたてたもので、徳川の時代でも水戸城の入口の門として使われていましたが、明治初年に取り壊されました。大手橋は慶長元年(1596)に濠にかけられた橋で徳川初代藩主頼房が修築してから大手橋と呼ばれています。


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二の丸と三の丸の間にかけられた大手橋の下は現在、県道232号になっています。


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水戸城址 塁及び濠
水戸城は石垣を使わず、台地を堀削して堀と土塁によって築かれています。


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水戸第二中学校
なんと中学校の校門です。二の丸には幼稚園、小学校、高校が建てられていて、校門や塀、建物などが城を模すように建てられています。


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大日本史編纂の地
徳川光圀の大事業であった「大日本史」編纂事業が行われていた旧彰考館跡に建てられています。「大日本史」は徳川光圀によって開始された日本の歴史書で、光圀の死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治時代に完成しました。編纂のため光圀は、多くの助さん格さんを日本中に派遣したところから後の黄門様の話につながっていきます。二の丸には他にも御三階櫓と呼ばれる実質上の天守もありましたが、第二次世界大戦の空襲で焼失しました。中学校校門の脇に建つ記念碑の隣には二の丸展示館が設置されていて、出土品や水戸城に関する資料が展示されています。


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中学校脇にある大きなシイ。戦国時代から自生していると伝えられ樹齢約400年。


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本丸と二の丸の間の濠は水郡線の線路になっています。
線路脇をつき辺りまで歩いて左に折れ二の丸、弘道館を目指すのが今回のハイキングコースだったのでそのまま歩いてしまったのですが、右に折れ橋を渡ると本丸跡。水戸一高の敷地内には、佐竹氏時代の水戸城藥医門が残っています。・・・見損ねました。
 
 
 
水戸城は、北部を流れる那珂川と南部に広がっていた千波湖を天然の堀として、大地を堀削して築かれた城で、石垣がなくすべて土塁と空堀で構成された城です。本丸、二の丸、三の丸はそれぞれが空堀で仕切られていました。
 
水戸城は、平安時代末期、常陸国の馬場資幹が建久年間(1190-1198)に館を構えたことにはじまります。室町時代に入り、藤原氏の族河和田城主江戸通房が馬場氏を追放し新城主となり、その後170年近く統治しました。豊臣秀吉の小田原攻めの際に江戸重通は北条氏側に加担。太田地方を本拠地として常陸北部を領した源氏の族佐竹氏は、豊臣方につき小田原城攻めの功績を認められ一気に江戸氏を攻め、常陸一国54万石の城主となります。居城の太田城から拠点を水戸城に移して、城郭を拡張して城下町も栄えました。しかし、秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは石田三成と結んで家康に対したため、1602徳川家康出羽国久保田藩に転封を命じました。その後家康は五男の武田信吉を入城させましたが、翌1603年に跡継ぎ無く没したため、十男の徳川頼宣を入城させます。その後1609年頼宣には駿府藩50万石を与え、末子で十一男の徳川頼房を下妻城より25万石で入城させ、以降その子孫の居城となりました。光圀が始めた大日本史編纂から繋がる水戸学は幕末、第九代城主斉昭の時代に尊王攘夷へと発展し、大きな影響を与えたとともに、水戸藩を内乱へと導いてしまいました。
 水戸と言えば黄門様。テレビドラマと偕楽園の梅の写真とが相まって、ほんわかとしたイメージでしたが、改めて調べてみると幕末の水戸藩はつらい状況が多かったですね。幕末という時代は、それぞれがより良い未来を考えながら行動をしていったのでしょうが、武力や弾圧で異論を封じ込めてしまうことがたった150年程、いや戦前まで当たり前の状況でもあったわけです。世界を見渡せばいまだ同じような状況は続いていて、戦争をしない現在の平和な日本の国はとても稀有で尊いものだと思います。戦争をする普通の国になんてならずに、ガラパゴスでいいじゃないですか。武力を使わずに平和を推進していくがいいと思うのになぁ。想像できることは実現できることなのですから。なんていろいろ考えてしまう今日この頃です。