大山に行ったら富士山に登るのが両参りというそうです。が、富士山に登るのは大変。ということで、もう一つの両参り、江の島神社へ。今年の初歩きです。
コース:
お不動さんに報告をしたらスタートです。鳥居と反対側に続く旧東海道をしばらく歩いていきます。
久しぶりに歩く藤沢宿。案内板がとってもきれいになっていました。歩いていた時はなんだか藤沢宿としては力が入ってないと思っていたのですが、いえいえとんでもない。とっても頑張っています。奥に見える橋を渡ると遊行寺に続く旧東海道。なんだか橋も綺麗になっていました。
奥に黄緑色の旗が見えるかなぁ。今日1月3日は箱根駅伝復路です。駅伝のコースは江の島道を横切り遊行寺の坂へと続きます。時間はまだ9時20分ごろ。選手が通るのはまだ先だけど準備が着々とすすんでいました。それにしても青学は速かったぁ!往路はTVに釘付け。復路はダイジェストで楽しみました。山の神が降臨すると優勝を導いてくれるんですね。さて、江の島道のほうは、ここからは東海道と分かれて藤沢駅方面へと進みます。信号を渡ってすぐの脇道を右に入っていくのが江の島道。
石上
鵠沼を中心とした一帯は天平時代(735年ごろ)には「高産郡土甘郷」と呼ばれ、鎌倉時代には「砥上が原」と呼び西行法師や鴨長明も砥上が原の歌を残しています。江戸時代に入ると江の島、大山詣での道筋で賑わった石上舟渡場がありました。
境川(上山本橋)
ファミリー通りを道なりに進み信号で467号線を渡り、上山本橋で境川を渡り工場の脇を歩いていきます。この川の先に江の島が待っています。
馬喰橋
今は欄干のみ残っています。新屋敷橋の手前に建つ案内板によると「源頼朝が片瀬川(境川下流)に馬の鞍をかけて橋の代わりにしたことから馬鞍橋、また馬が突然死してしまうことから馬殺橋と呼ばれたが、ある時に行者が橋の石を取り換えてから災難はなくなった。」と伝えています。
江の島弁財天道標
片瀬小学校の先に道標が見えてきました。案内板によると「この道標は、管を用いた鍼治療をする管鍼術の考案者で、江の島弁財天を厚く信仰したといわれる杉山検校(1610?~1694)が、江の島神社に参詣する人々の道標に寄進したものと伝えられ現在市内にある十余基が市重要文化財に指定されている。いずれも火成岩製。ほぼ同じ大きさの尖頭角柱型であり、多くが前面に「ゑのしま道(上部の梵字は弁天の種子ソを表す)」横面に「一切衆生」「二世安楽」と刻んであり、道中する一切衆生の現世及び来世の安楽を祈念した造立者温情が偲ばれる」もとは48基あったといわれ現在は11基が残されています。高さ120cm、面幅20cm。
諸説ありますが、西行法師が東国に下った際、松の枝ぶりの見事さに都恋しくなり、思わず見返って枝を西にねじったと伝えられています。この松は何代目なのかなぁ
江の島道標(片瀬市民センター)
江の島道から龍口寺への分岐に立つ道標。こちらは江戸の講中により建てられました。
0890
江の島が見えてきました。地下道で134号線をくぐれば江の島に続く江の島弁天橋にでます。この橋を15分ほど歩けば江の島に到着です。
橋から右手を見れば見事な富士山と大山のツーショット。
10時半過ぎに江の島に到着。青銅の鳥居をくぐる前から参道には人人人。さすがにお正月。まずは30分程ならんで辺津宮を参拝。日本三大弁財天を奉る江島神社は、田寸津比賣命を祀る「辺津宮」、市寸島比賣命を祀る「中津宮」、多紀理比賣命を祀る「奥津宮」の 三社からなる神社です。エスカーなる屋外エレベーターで頂上まで行かれますが、もちろん階段を歩いて参拝。辺津宮まではすごく混んでいましたが、奥に行くにつれ人も減ってきました。
三社をお参りしたらもうお昼の時間。岩屋に行く途中で釜揚げシラス丼をいただきます。
奥社から階段を下ってくると目の前には絶景が広がります。
江の島の一番奥まで行くと、長い歳月を経て波の浸食でできた洞窟・岩屋があります。古くから信仰の対象とされ弘法大師が修行をしたり源頼朝が戦勝祈願に訪れたとも言われています。写真は第一洞窟と第二洞窟の間から覗く相模湾。海がキラキラと光っています。
岩屋に行く橋の上から下を見ると大きな亀さん!・・・に見える岩があります。
今日はお天気が良くて本当に富士山がきれい! ずーーーっと眺めていたい気分。ですが、そろそろ戻りましょう。奥津宮を過ぎ参道の羊羹屋さんまで来たら下道を通って朱の鳥居まで戻ります。参道はさっきよりも多くの人でごった返していました。