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【日本100名城 その5】  12 会若松城

12 会津若松城 (福島県会津若松市)  別名:鶴ヶ城 若松城 黒川城
 
  
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☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 
 ・城地種類 平山城
 
 ・築城      至徳(元中)元年(1384) 葦名直盛
文禄元年(1592) 蒲生氏郷
寛永16(1639) 加藤明成
 
                     ・主要城主 葦名氏、蒲生氏、加藤氏、保科氏、松平(保科)
 
                                                              (登城日: 2014814日)
 
 
 
 
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北出丸
 
 
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椿坂
北出丸に侵入されてもここから先へは侵入させません。
 
 
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武者走り
石垣の中にハート形の石があるのがわかるかなぁ。見つけられたらいいことあるかも。
 
 
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天守閣  昭和40(1965)再建 
五重五階の天守は昭和40(1965)、南走長屋と千飯櫓は平成13(2001)に再建され、平成23(2011)には八重が戦った時と同じ赤瓦に葺き替えられました。
 
 
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鉄門
本丸に通じる表門
 
 
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本丸跡
 
 
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天守閣から鉄門を望む
 
 
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天守閣から飯盛山方向 中央左手あたり
 
 
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千飯櫓付近から鉄門と天守
 
 
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御三階跡
 
 
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茶室 麟閣
工事のため中には入れませんでした。千利休の子、小庵が会津に匿われていた時に、氏郷の為に造ったと伝えられています。
 
 
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茶壺櫓
城内で一番高く(20m)美しい石垣と言われています。
 
 
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廊下橋
加藤明成の大改修まではここが大手門でした。
 
 
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二の丸
 
 
室町時代に葦名直盛が黒川城を建てたのが始まりです。天正17(1589)伊達正宗により葦名氏が滅ぼされますが、翌年には秀吉の奥州仕置により蒲生氏郷が入城します。氏郷は町の名を黒川から若松に変え望楼型7重の天守を建立し鶴ヶ城に改めました。その後、上杉、蒲生、加藤と城主が代わり、加藤明成の時代に会津地震により倒壊した天守を層塔型5重の天守に建て替え。その後、松平(保科)家の居城となり幕末の戊辰戦争を迎えます。1か月にも及ぶ戊辰戦争でぼろぼろになった天守は政府の命令で取り壊されてしまいます。
現在の天守の中は郷土博物館となっていて城の歴史を学べるようになっています。
百名城スタンプは天守売店にあります。