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【日本100名城 その4】  11 二本松城

11 二本松城 (福島県二本松市)  別名:霞ヶ城 霧ヶ城
 
 
イメージ 1☆データ☆   (100名城ガイドブックより)
 ・城地種類 山城→平山城
 
 ・築城      応永21(1414) 畠山満康 
天正18(1590) 蒲生氏郷 
寛永4(1627) 加藤明利
寛永20(1643) 丹羽光重
 
 ・主要城主 畠山氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、丹羽氏
  
                                                          (登城日: 2014813日)
 
 


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二本松城 大手門跡
久保丁口に建造された塀を伴った大手門(坂下門)。天保3(1832)に建造されたが戊辰戦争で焼失。久保丁坂入口の信号を曲がってすぐのところにあります。
 
 
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二本松城
千人溜に建つ二本松少年隊(平成8年建立)。この地からそれぞれの守備地へと出陣しました。
 
 
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箕輪門 二階櫓 多聞櫓  昭和57(1982)再建
 
 
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三の丸
10月に行われる菊人形展(平成26年10月11日(土)~11月24日(月・祝))の準備がもう始まっていました。
三の丸から本阪御殿跡へ続く階段は菊人形展準備のため通れなかったので脇をまわって本丸に続く山道を登っていきます。
 
 
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日影の井戸
 
 
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本丸石垣 平成7(1995)修築・復元
 
 
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東櫓台から天守台、安達太良山を望む
 
 
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空堀
 
 
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土塁
 
 
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搦手門跡
 
 
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新城館 (少年隊の丘)
 
 

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説明板はなかったけこれも空堀
 
 
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本宮跡
 
 
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洗心亭
城跡内に唯一残る江戸時代の茶亭

 
 
 

標高345mの白旗ヶ峰に畠山満康が応永21(1414)または嘉吉年間(144144)に築城(諸説あり)した山城です。その後天正14(1586)伊達正宗により落城し、伊達、蒲生、上杉、松下、加藤氏と城主が変わり、寛永20(1643)丹羽光重が初代二本松藩城主として入城して幕末まで丹羽氏が収めました。戊辰戦争では1317歳の二本松少年隊と後日呼ばれるようになった少年達をも戦場に赴き、西軍との徹底抗戦で城内のすべてを焼失し、慶応4(1868)729日落城。
 
 
二本松駅から箕輪門まで坂道を登っておりて徒歩20分ほど。箕輪門から本丸まではまだまだ登ります。ちょっとしたハイキング。山全部が城跡になっているので全部回ろうと思ったら結構時間がかかります。山道もあるので歩きやすい靴でどうぞ。
百名城スタンプは二本松駅観光案内所と二本松歴史資料館受付の2カ所。城内にはありません。