マダオなWALKING′!

まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

東海道五十七次  (追分)~伏見宿~淀宿~(橋本)      2014.03.08

東海道歩きの途中で耳にした「東海道五十七次 京街道
江戸時代、参勤交代の途中で大名が京都の公家と接触することを嫌った徳川政権が洛中を通らないように整備されました。逢坂山を越えた追分で五十三次と分かれ伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿を経て大阪の高麗橋まで続きます。
 
大阪府のホームページからマップをダウンロード。
大阪府HP→都市計画・都市整備→交通道路→道路整備→歴史街道→歴史ウォーキングマップ)
 
月8日から歩いてきました。3月というのにまだまだ寒くて息が真っ白。そういえば米原あたりでは雪も降っていたなぁ。京都駅から山科駅に戻り東海道を追分まで歩きます。
さぁ、京街道のスタートです。
 
 
 
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追分
追分に到着。右に行くと京都。左に行くと大阪。今日は左に進みます。
あれ!? 去年歩いた時は赤いカラコンがあった場所に道標が建っていたのに・・・無い!
 
 
道なりに進み名神高速道路の高架をくぐり病院の脇を過ぎると国道1号線に出ます。地下道をくぐろうと思ったら工事中。ちょっと戻って信号を渡ります。しばらく静かな旧道を歩いていきます。
 
 
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道標 
山科大塚の交差点で国道を横切り旧道を歩いていると道標がありました。「ひだりおゝつみち みぎうじみち」と書いてあります。狭いうえに車通りが多い道で気をつけて歩かないとなりません。
 
 
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クスノキ(岩屋神社御旅処) 
岩屋神社の鳥居を過ぎたバス停のところに岩屋神社御旅所。立派なクスノキがありました。マップにはこのあたりに大宅の一里塚があると書いてあったのでこれがそうだとばかり思って通り過ぎたのだけど・・・どうも違ったらしい。このすぐ先にあった?バス停になっていて人が並んでいたし車も多くて裏をまわって正面を確認しなかったのだ。不覚・・・
追記・・・見逃したのがちょっと悔しくてストリートビューでググってしまいました。クスノキのちょっと先、駐車場?の中、道路からちょっと奥まったところにちゃんとあるのが確認できました。京都方面からだと家の影になって見えにくいかなぁ。大阪方面からならわかりやすそう。まぁ前もって確認していったら面白味も半減してしまうから普段はこんなことしないけど、便利な世の中になったものです。
 
 
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名神高速道路のガード下をくぐり山科警察の先を右に折れ歩いていくと車も減って歩きやすくなります。 
 
 
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愛宕山常夜燈
静岡では秋葉山常夜燈がいっぱいあったのを思い出しました。この辺りは愛宕山が火伏の神様なんですね。この先「奈良街道」の標識が見える交差点まで来たら右折して東海道小野駅のほうに進みますが、ここは直進してちょっと寄り道。すぐに随心院です。
 
 
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随心院 
小野小町ゆかりのお寺です。
 
 
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随心院 梅園
もともと遅咲きの梅ですが、今年は寒さも厳しいせいでまだ全然咲いていませんでした。今月30日の「はねず踊り」の時には満開になっているかしら。
 
勧修寺が見えたら曲がろうと思っていたら右手奥に勧修寺。随心院をでて街道に戻ったつもりが一つ手前の道を歩いていました。どのみちこの道に出てくるから勘修寺に戻らずこのまま進ことにします。
 
 
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勧修寺を過ぎるとしばらく名神高速道路の脇を歩いていきます。何にもない道ですが、この道は深草の少将が小野小町の元に百夜通いをするために通った道とか。九十九夜目にして急逝してしまったとも言われていますが、私は「うた恋。2」のお話しがお気に入り。とはいえ深草の少将と僧正遍照が同一人物かどうかははっきりしないけど。
 
 
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テニスクラブを過ぎピアノ学校の先を右に折れ旧道を進んでいきます。仁明天皇陵の道標を過ぎJRの高架を渡ると藤森駅が見えてきます。駅前を右に折れ京都教育大学の前を通り過ぎると藤森神社があります。
 
 
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藤森神社 
平安遷都以前からの古社で勝運と学問の神社。と地図には書いてありますが競馬の神様として有名です。
 
 
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撞木町遊郭跡の碑
この辺りはもう伏見宿に入っているのかなぁ。地図を片手に交差点を右へ左へと折れながら進んでいきます。桜で有名な墨染寺、深草の少将の邸宅を言われている欣淨寺、その先には大石内蔵助が通っていたという撞木町遊郭跡の碑もあります。
 
 
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学校脇の道標
 
 
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区役所前を通り過ぎて歩いていくと商店街のアーケードの上に「SOLAR MOON」の文字。月にかわってお仕置きをしているわけじゃなくて、太陽光を集めています。
商店街の辺りからだんだんと賑やかになってきました。龍馬通りまで来ると観光客でいっぱい。
 
 
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言わずと知れた寺田屋事件の現場です。幕末の伏見は激戦地でもあったわけで、のんびりと歩いていられるこの時代はありがたいものです。
 
 
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京橋
江戸時代、水運で大いに栄えていた伏見。龍馬もここを拠点に飛び回っていたんだよね。
 
 
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伏見港公園
かつては三十石舟や高瀬舟が往来し、港町で栄えた伏見も陸上輸送に代わられ、港は埋め立てられて公園になっています。伏見宿はこの辺りで終わりかな。伏見は宿場町というより城下町として発展し,その後水運の拠点として賑わってきたところだからいわゆる宿場町とはちょっと違うような気がしました。
 
 
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三栖閘門
公園を過ぎ土手を歩いて高瀬川にかかる細い橋を渡り対岸へわたります。
 
 
 
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宇治川沿いの土手を歩いていきます。巨椋大橋を越え、奥に見える宇治川大橋も土手の下をくぐって越えます。この辺りは工場のせいかなぁ、空気が悪かった。
 
 
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今回初めて知った事、宇治川の源流は琵琶湖。最初は唐橋のある瀬田川として流れ始め、京都に入り宇治川となり、その後桂川、木津川と合流して淀川となり大阪湾へと注ぎます。
 
 
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踏切まできたら宇治川と分かれ踏切を渡り、京都競馬場の脇を歩いていきます。
 
 
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京都競馬場の前の空き地には梅の木がぽつんと残されきれいな花を咲かせていました。
この先には戊辰戦争戦没者の碑が建っています。
 
 
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納所
この辺りでもう淀宿に入っていると思うのだけど。大きな納所の交差点を渡り、淀駅のほうへと進みます。駅前はまだ工事中ですが高架化も済みそろそろ工事も終わりそうです。
 
 
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淀城と言っても淀殿の城ではなく江戸時代に築かれた城です。
 
 
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淀宿を抜け京滋バイパスをくぐり宇治川、木津川を渡ります。
奥には石清水八幡宮の男山が見えてきました。
 
 
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橋を渡りぐるっとまわりこんで土手の下の道を歩いていきます。途中に大きな木がありました。両手をあててパワー注入。
 
 
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道標
橋本の町に入ると八幡宮の道標がいくつか残っています。
 
 
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西遊寺 
橋本駅近くの道しるべで街道と別れて駅に向かいます。駅前にあるお寺の写真。橋本駅はとても小さな駅でした。今日はここで終了。25キロ位歩いてきました。さすがに疲れた~。