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まるでダメなオバサンによる まったりダラダラお気楽旅

【続・日本100名城 その22】  123  滝山城

123 滝山城 (東京都八王子市)

・城地種類: 平山城

・築城  : 大永元年(1521)

・築城者 : 大石定重

・主な城主: 北条氏

                                                    (登城日:2024年4月7日)

本丸 引橋

 大永元年(1521)に武蔵守護代の大石定重が築城し、高月城から移ったとされています。後に、大石氏の養子となった北条氏照が拡張、改修しました。永禄8年(1569)、武田信玄に攻撃をうけた後に、八王子城を築城し移転しました。

 昭和46(1971)年に、加住地域の住民と行政等が共に協力して5,000本の桜(ソメイヨシノヤマザクラなど)を植樹し、桜の名所となっています。

 

 滝山城址下バス停からスタート。駐車場脇でパンフレットをもらって、石碑の脇から大手口に向かいます。

 

 天野坂の堀底道を進みます。

 

 左手が小宮曲輪。

 

三の丸

 小宮曲輪の反対側が三の丸。城の南側を守る台状の構造で、三方を空堀で囲まれています。小峰曲輪と三の丸の間を進むと、山の神曲輪への分岐がありますが、立ち入り禁止になっていました。

 

千畳敷

 城の中で最も広い平場で約60m四方あります。城下の民が年貢を納めたり、陳情に来る役場的な施設があったと考えられています。

 

角馬出

 千畳敷と二の丸の間意にある馬出

 

二の丸堀

 

二の丸 

 三つの馬出を持つた堅い守りの二の丸

 

二の丸 大馬出

 

中の丸 

 最重要な政庁施設があったと考えられています。東に9mの深い空堀、北には70mの高さの断崖、南は15mの深さの空堀、堅固な二の丸に囲まれています。この堅い守りは、大石氏から城を譲り受けた北条氏照が改修したと考えられています。桜がきれいでした。

 

 中の丸にある建物の入口に続100名城のスタンプがあります。この建物は、平成13年に廃止された国民宿舎滝山荘の一部です。

 

中の丸からの景色(多摩川方面)

 70mの高さの断崖から多摩川に向かって防御のための腰曲輪が作られていました。

 

本丸 引橋

 再建された引橋を渡って本丸へ向かいます。この引橋は、人工的に掘られた大堀切の上に架けられています。大堀切はもっと深く、橋はもう少し低い位置に架けられていたそうです。

 

 本丸の出入口は枡形虎口です。

 

本丸

 城主が住んだ場所と考えられています。

 

信濃屋敷

 ここには家臣の屋敷があったとされています。信濃屋敷に続く道は尾根道になっていて、敵が侵入しやすいため、家臣の屋敷を設けていたと思われます。

 

大池跡の桜

 窪地一面に霞のように桜が咲いていました。写真ではうまく伝わらないのですが、幻想的な光景でした。

 

 木橋を渡り、尾根道を歩いていきます。

 

金龍山 少林寺曹洞宗

 途中の分岐を曲がり、舗装道路を進むと少林寺を経て、道の駅八王子へ繋がります。少林寺は、北条氏照が開基の寺で、和尚の母は氏照の乳母であったと伝えられます。寺の檀家7割が北条家家臣団の末裔です。

 

 続100名城に選ばれる前に訪れたことがあり、今回はお花見がてら、スタンプを押しに来ました。とても広い縄張りを持っています。お城攻略のアプリがあったのですが、バージョンが合わず利用できませんでした。残念。そして、桜が見頃を迎えていたので人が多かったです。今年は桜の開花が例年よりも遅いですが、ちょうど見ごろを迎え、とてもきれいでした。

 武闘派のイメージの強い北条氏照ですが、外交面でも氏政の右腕として活躍し、信長との関係改善にも尽くしています。小田原合戦では氏政とともに戦の責任を取り、切腹をしています。北条氏は関東支配を目指していましたが、全国支配は望んでいなかったと思うので、秀吉でなければ、大名として残っていたかもしれないですね。